空から日本を見てみよう ― 房総半島Ⅱ ―

空から日本を見てみよう。今回は千葉県の房総半島の続きである。

スタートは鴨川市

wikipedia:鴨川市

 

人口は3万3千人ほど。安房地域の中核都市である。

2005年に鴨川市天津小湊町の合併によって現在の市域となった。

 

海岸沿いに観光地が多い。

鴨川シ―ワールドは大規模な海洋総合レジャーランドで海獣のショーなど大規模な水族館にホテルも隣接している。

仁右衛門島は千葉県で最大の島であり、平安時代より代々続く平野仁右衛門家の個人所有となっている。

対岸の漁港と渡し船で連絡しており、入場料を払って見学することが可能である。

 

その他にも松島海岸や鯛の浦など海岸沿いに観光地が点在している。

 

一方内陸部には東京に最も近い棚田、大山千枚田が東西600mにわたって連なっている。

日本で唯一雨水のみで工作を行っている田んぼでもある。

f:id:kamonji224:20170327221100j:plain

 

東隣の勝浦市へ向かう。

wikipedia:勝浦市

 

 人口は約1万9千人。

古くから漁港が栄えていた。国内有数のカツオの水揚げ量を誇る。

市域の約3分の2が山地であり、人口はあまり多くない。

 

港の朝市は安土桃山時代から始まる歴史の深い朝市である。

400年を超えた現在でも、毎週水曜日を除いて開かれている。

 

海中公園には展望塔があり、海中を窓からのぞくことができる。

学研が設計し、日立造船が建設。川崎から船で曳航してきたそうだ。

 

 

西岡公園 ― 札幌の水源地 ―

今日は豊平区の西岡公園を散歩してきた。(ほんのちょっと)

 

 

 

明治時代に月寒川をせき止めて陸軍の水道施設として整備された。

戦後は札幌市が月寒水道として経営していたが昭和46年、白川浄水場の建設によりその役目を終えることとなった。

現在は水辺の公園として付近の住民の憩いの場となっている。

 

3月のこの時期ではまだまだ雪に埋もれている。

遊歩道は除雪してあり、散歩している人や写真の撮影をしている人が幾人かいた。

 

f:id:kamonji224:20170326212141j:plain

貯水池も雪に覆われている。

 

f:id:kamonji224:20170326211345j:plain

取水塔。国の登録文化財である。

トタン屋根でレンガ積みの洋風なデザインだ。

 

f:id:kamonji224:20170326213128j:plain

貯水池の下流には小川が流れていて

 

f:id:kamonji224:20170326213258j:plain

ホタルの生息地であるそうだ。

 

この公園は公的な研究施設である羊が丘に隣接しており、自然が豊かである。

 

ホタル以外にもキツネ、ウサギ、リス、モモンガ、タヌキ、テン、イタチなど定番の動物から珍しい動物まで生息している。

 

貯水池の上流は湿地帯となっていて魚や昆虫、鳥類に植物も多様な生態系を築いている。

 

ここはキャンプ場も隣接しているのだが、青少年キャンプ場ということで子供の団体利用を目的に作られたらしい。

 

虫の少ない季節に一回りしてみたくなった。

地球絶景紀行 ― ドナウデルタ ―

地球絶景紀行。今回はルーマニアのドナウデルタを目指す。

wikipedia:ルーマニア

 

首都はブカレスト。人口は2千万人弱である。

地理的には東欧であるが、言語は東欧には珍しいロマンス語系である。

宗教は東方教会系のルーマニア正教会が主流である。

 

国名は「ローマ人の国」という意味である。

セルビアブルガリアとの国境はドナウ川を基準としている。

 

中世にはオスマントルコハプスブルク家の影響下にあった。

19世紀に独立するが第二次大戦後はソ連の圧力下にあり、共産圏の一因となる。

独裁者であったチャウシェスク体制の打破後、民主化が進み現在ではEUに加盟している。

 

ドナウデルタはドナウ川によって作られる巨大な三角州である。

 

ルーマニアウクライナにまたがる、人の手がほとんど入っていない湿地帯である。

 

ドナウ川はドイツ南部を源流とし、黒海に注ぎ込む。途中で通るのは10か国にも及ぶ大河である。

多くの魚、鳥類、さらには植物が生息する世界的に見ても特別な場所である。

欧州、アジア、地中海さらにはアフリカからも鳥たちが産卵のために訪れる場所となっている。

 

ドナウデルタ入口の町トゥルチャからフェリーで数時間かけて黒海に面する港町、スリナまで行くことができる。

 

団体であれば、トゥルチャから貸切ボートでドナウデルタを探検できるようだ。

f:id:kamonji224:20170325144959j:plain

 

スリナはかつて大きな造船所もあり栄えていたが道路を建設することができず、渡し船しか交通インフラが整備できなかったため、現在では小さな町となっている。

 

しかし、黒海に面しているため、内陸部とはまた違った動植物や風景を眺めることができる。また個人でも参加できるツアーもあるようだ。

 

トゥルチャとスリナの間にもいくつか町や村があり、漁労で生計を立てている人が多いそうだ。観光や釣りを楽しむ人も多いが、黒海の夕日や朝日を見るためにはスリナが最適のようだ。

 

ドナウデルタで最も有名な鳥はペリカンである。

一時は人間の駆除でその数を減らしたものの、全ヨーロッパを挙げた保護の結果その数は回復してきた。

ペリカンたちは春に産卵のためにドナウデルタへ飛来し、冬には温かいアフリカへ帰っていくそうだ。

鳥たちを見るには時期を考えて訪れた方が良いだろう。

大きいもので全長170cmにもなるペリカンの集団はちょっと怖いかもしれない。

世界ふれあい街歩き ― 北京 ―

目次

 

1.北京の概要

世界ふれあい街歩き。今回は中国の首都、北京。

wikipedia:北京

 

人口は2千万人を超えるメガシティである。

古代は都の洛陽より離れ、匈奴などの侵攻も多発する辺境であったが徐々に北方の交易、朝鮮半島高句麗などに対する戦略的な位置から重要な都市となっていく。

現在でも万里の長城が北部の山岳地帯に聳えている。

 

時代が下って女真族の王朝である金が首都とし、元の時代には大都という名で元朝の都とされた。

明の第三代皇帝、永楽帝は名を北京と改め、現在に至っている。

 

華北平原の北端に位置して南部以外は山地に囲まれている。

華北平原は伝統的に中原と呼ばれ、中国の歴史の中心的位置を占めてきた。

黄河が流れ、地味豊かで温暖であるが降水量は少なく、近年は水不足が不安視されている。

 

2.北京の観光地

 

北京市街地の観光のスタートはやはり天安門

清の順治帝時代に建設され毛沢東が建国宣言を行った場所である。

f:id:kamonji224:20170324220253j:plain

 

元々は明の王宮である紫禁城故宮)の門である。

紫禁城も清の時代に再建され、ラストエンペラーの溥儀の時代まで皇帝が居住していた。

現在では博物館となっている。

f:id:kamonji224:20170324220737j:plain

 

 

歴史の古い都市のため、世界遺産も多い。

もっとも古い時代のものは北京原人の遺跡が発掘された周口店。

 

頤和園は金朝~清朝にかけて拡大されてきた庭園である。

皇帝の私有財産であったが、現在では一般開放されている。

 

天壇は明~清の時代の皇帝が祭祀を行った場所である。

豊作や雨乞いの祈りをささげたり、歴代皇帝の位牌が置かれている場所でもあった。

ここも明の永楽帝が建立したとされている。

 

明の十三陵は永楽帝以降の皇帝一族の陵墓群である。

一部は発掘されており、地下宮殿として公開もされている。

 

大運河は隋の時代に作られた。

北京から杭州までを結ぶ中国の大動脈である。

現在では一部放棄されている部分もあるものの、2千トン級の船が通行できるよう整備されている個所もあり、千年以上の時を経て今なお現役の運河である。

 

ちなみに街歩きではこれらの有名スポットはスルーして、后海界隈を散策した。

天安門の北側に位置する湖を中心とした北京の下町地区である。

建物は古いたたずまいを残し、レンガの壁にはさまれた胡同(フートン)と呼ばれる路地を歩く。

 

最大の繁華街である王府井は北京の銀座とも呼ばれ、観光客が絶えない。

皇族の屋敷の井戸があった事が地名の由来だそうだ。

ここも元の時代から続く胡同と呼ばれる横丁の四つの建物が中庭を取り囲む四合院様式が特徴的。

 

厚沢部町 ― じゃがいものおらいも君 ―

今日は厚沢部町について調べてみた。

wikipedia:厚沢部町

 

 

人口は約4千人。読み方は「あっさぶちょう」である。

意外と難読地名である。

函館市江差町を結ぶ国道227号が町内の中心部を横断している。

 

道の駅は国道沿い、町の中心部近くに立地している。

 

基幹産業は農業と林業である。

道の駅はヒバ材が使われているが、厚沢部町はヒバの伐採により栄えた。

松前藩の時代に杣夫と呼ばれる人々が本州から渡来し、農業を副業としながらこの地を開拓したのが始まりと言われる。

 

 

道の駅に隣接するレクの森にはヒバやトドマツが見られる。

北と南の樹木が混在する珍しい生態系だそうだ。

 

松前藩明治元年に現在の厚沢部町に館城という新たな城を建てた。

クーデターによって尊皇派に転じた松前藩旧幕府軍の海上攻撃に備え、内陸に退いたわけだ。

松前藩主は江差に居を構えていたが、箱館戦争に伴って館城でも旧幕府軍との戦いが起こり、館城は落城し旧幕府軍の治めるところとなった。

現在では史跡となっている。

 

旧南部家住宅という古農家建築の建物が現存している。

現在は滝野庵という蕎麦屋さんになっている。

この建物にもヒバが使われており、厚沢部町の暮らしになくてはならないものだったことがうかがえる。

近くには瀧廼神社という江戸時代から続く神社もある。

 

町西部の鶉(うずら)ダムにはオートキャンプ場も設置されている。

また温泉が多く、うずら温泉、館地区いこいの家、俄虫温泉など町内に点在している。

 

ところで、現在の厚沢部町と言えばじゃがいものメークインが有名である。

大正時代から栽培が始まり、今では厚沢部町の最大の特産物である。

もちろんゆるキャラもじゃがいも(おらいも君)であり、カントリーサインにも描かれている。

f:id:kamonji224:20170322222513j:plain