空から日本を見てみよう ― 坂出~丸亀~金刀比羅宮 ―

今回の空から日本を見てみようは、香川県第二弾。

まずは坂出市からスタート。

wikipedia:坂出市

 

人口は5万2千人ほど。

 

瀬戸大橋の四国側玄関口となっている。

f:id:kamonji224:20170406215714j:plain

 

沿岸部にはかつて塩田が広がっていた。

現在は臨海工業地帯が広がっているものの、日本の塩の50%以上を製造する日本海水の工場があり、今なお塩づくりが盛んである。

 

保元の乱の後、崇徳上皇が配流された地であり、由縁のある名所が多い。

 

次は宇多津町。

wikipedia:宇多津町

 

人口は約1万9千人。

香川県で最も面積の小さい自治体である。

かつては塩田が広がっていたが、坂出市と共に臨海工業地帯が発展した。

 

続いて丸亀市

wikipedia:丸亀市

 

人口は11万人ほど。香川県第二の都市である。

丸亀城の城下町及び金刀比羅宮門前町としても栄えた。

団扇の生産が盛んであり、全国生産量の90%を占めている。

 

丸亀城は江戸時代途中から京極氏の治める城となった。

源流は鎌倉時代にまでさかのぼる古い家柄であり、明治時代までしぶとく生き延びた。

京極高次、高知兄弟は信長、秀吉、家康に仕えそれぞれ外様大名として領地を持った。

現在も丸亀城は市のシンボルである。

f:id:kamonji224:20170406222659j:plain

 

 

瀬戸内海の塩飽諸島は古来より海上の要衝であり、優秀な水夫を多く輩出した。

江戸時代に太平洋を横断した咸臨丸の水夫は7割が塩飽諸島出身であった。

 

続いて多度津町

wikipedia:多度津町

 

人口は2万3千人。

陸路、海上交通の要衝として栄え、JR土讃線の起点である。

四国の鉄道発祥の地としても知られる。

また、少林寺拳法の総本山でもある。

 

最後は琴平町

wikipedia:琴平町

 

 人口は約9千人。

金刀比羅宮門前町として栄え、観光が主要産業である。

金刀比羅宮は金毘羅さんとも呼ばれ、海上交通の守り神として信仰されている。

神仏習合の寺社であり、真言宗役小角に所縁があると言われているが、真偽は不明である。

江戸時代には伊勢神宮に次いで庶民のあこがれの地だったそうだ。

丸亀や多度津の港も金毘羅参りの参道口として栄えた。

また土佐国高知県)との主要街道でもあり、脱藩した坂本竜馬中岡慎太郎が通ったとも言われている。

 

地球絶景紀行 ― フィンランドのオーロラ ―

地球絶景紀行。今回はフィンランドでオーロラをハンティング。

wikipedia:フィンランド

 

 首都はヘルシンキ。人口は530万人ほど。

面積は日本よりやや小さい。

かつては資本主義でありながら、ソ連の影響下にあった。

現在ではその立場を利用し、東西貿易の窓口としての地位を築き、世界でも有数の生活水準となった。

 

東京からヘルシンキへの直行便は10時間半。最も近いヨーロッパともいわれる。

 

まずはコリ国立公園へ向かう。

 フィンランド最高の展望ともいわれる。

900㎢にも及ぶ巨大な湖(フィンランド4位だが)のピエリネン湖に浮かぶ無数の島々を眺めることができる。

展望台までのルートはややきつめの散策路。できるだけ歩きやすい靴が良いだろう。

道中の森の中も日本とは違う風景を楽しむことができる。

 

続いてフィンランド北部のロヴァニエミへ向かう。

町の中心から8kmほど北に行くとサンタクロース村がある。

フィンランド最大の観光スポット。サンタさんに手紙を出すとここから返事が届くのだ。

 

ロヴァニエミは少数民族サーミ人が多く暮らす町である。

第二次世界大戦によって町は破壊されてしまったが、フィンランドの著名な建築家アルヴァ・アアルトらによって復興を遂げた。

 

この町でもオーロラを見ることは可能だが、さらに北上することに。

サーリセルカという小さな町へ向かう。

 

小さな町のため、すこし歩くとオーロラ観測スポットにたどり着ける。

そして、ついにオーロラを見ることができた。

f:id:kamonji224:20170404221712j:plain

オーロラの仕組みは完全にはまだわかっていない。

ただ、北極と南極の共役点と呼ばれる場所で同時に起こっているそうだ。

極寒の中、数時間待ってでも見る価値のある不思議な光景である。

世界ふれあい街歩き ― エディンバラ ―

世界ふれあい街歩き。今日はイギリスに属するスコットランドエディンバラ

wikipedia:スコットランド

 

イギリスの正式名称はグレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国である。

スコットランドグレートブリテン島の北部に位置する。

人口は500万人強。イギリスを構成する4つの国(カントリー)の一つである。

 

エディンバラスコットランドの首都とされており、人口ではスコットランド第二の都市である。

wikipedia:エディンバラ

 

人口は50万人ほど。古くから行政、商業の中心として発展した。今でも金融業や小売業が盛んである。

 

エディンバラのシンボルは何といってもエディンバラ城

岩山の上にそびえたち、町を見下ろしている。

中世の建物が多く残っており、展示物も充実している。

f:id:kamonji224:20170403215747j:plain

 

一方現役の宮殿がホリールード宮殿。

王族の避暑地として使われているが、使用されていないときには一般公開されている。

隣接した場所には歴代のスコットランド王が埋葬されているホリールード・アビーという修道院の跡もある。

 

 

エディンバラは歴史的人物を多く輩出している。

カールトン・ヒルという小高い丘はナポレオンと戦ったネルソン提督の記念碑や政治家のダグラス・スチュアートの記念碑が設けられている。

f:id:kamonji224:20170403221114j:plain

 

近くには文豪であるウォルタースコットの記念碑も。

 

歴史の古い町にふさわしくスコットランドを代表する聖ジャイルズ大聖堂やロスリンチャペル、さらに国立の博物館や美術館が並び1日ではまわりきれない町である。

f:id:kamonji224:20170403221619j:plain

旧市街地を散歩するだけでも時間を忘れてしまいそうである。

 

ところでスコットランドと言えばスコッチウイスキーが有名である。

NHKのドラマ「マッサン」でもおなじみであるが、エディンバラにはスコッチウィスキーのミュージアムもある。

日本語の解説もあるそうなのでぜひ立ち寄ってちびちび飲んでみたい。

 

エディンバラに所縁のある著名人は電話を発明したグラハム・ベルや進化論のチャールズ・ダーウィンに宝島やジキルとハイドを著したスティーブンソンが有名である。

私的に最もなじみ深いのは名探偵シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイル。彼の生家はパブになっている。名前はそのままコナン・ドイル

目の前にはホームズの銅像が建っているそうだ。

 

 

せたな町 ― 奇岩と攻めの観光ポスター ―

今日はせたな町について調べてみた。

wikipedia:せたな町

 

人口は約8500人。日本海に面した漁業の町である。また、離島を除くと北海道最西端の町でもある。

 

2005年に瀬棚町、北桧山町、大成町が合併してできた町である。

 

道の駅は旧大成町域にある「てっくいらんど大成」。

海水浴場のすぐそばにある小さめの道の駅だ。

てっくいとはヒラメのこと。

ヒラメはユーモラスな外見とは裏腹に性質が凶暴で手にも食いつくことからてっくいと呼ばれている。

 

町内には南北に縦断する国道229号、今金町・長万部町方面へ向かう国道230号が通っている。

 

 かつては国鉄瀬棚線が長万部町国縫(くんぬい)駅との間を通っていたが、1987年に廃止となった。

旧北檜山駅、瀬棚駅跡には記念碑も残されている。

 

荒々しい日本海に面した町であり、海岸線にはスポットが多い。

瀬棚町では瀬棚区のシンボルの三本杉岩が有名だ。

高さ30mの三つの岩が海岸近くにそびえている。

 

少し内陸に行くと牧草地が広がる立象山展望台から海岸を眺めることもできる。

ここはキャンプ場も併設されているので、宿泊して夕日を見るのも良いだろう。

 

また島牧村との境目付近には茂津多岬灯台がある。

ここは日本で一番高い灯台である。

(海抜ゼロメートルから灯台の先端までの高さが一番高い)

灯台そのものの高さが高いわけではなく、高い場所に立っている灯台ということだ(笑)

 

ここは日本初の女医、荻野吟子が開業した地でもある。医療だけではなく文化活動にも大変貢献し、開業の記念碑が建てられている。

 

北桧山町は海岸線よりも内陸部が中心であった。

町役場はそのまませたな町の町役場となっている。

玉川神社の水仙は全国水仙サミットの舞台にもなり、町のカントリーサインになった。

狩場山登山道途中の熊戻渓谷は熊でも戻ってくるほどのけわしい谷という由来で名づけられた。紅葉の時期が特にお勧めだそうだ。

 

旧大成町は久遠漁港を中心とした漁業の町。

久遠郡大成町の久遠郡という名がが今も引き継がれている。

ここは親小熊岩というアイヌの悲しい伝説が残る岩が有名。

これは本当に親子の熊が向かい合っているように見える。

この辺りを通るときはぜひ立ち寄ってほしい。

 

他にも奇岩が多く、のんびり海岸線を眺めながらドライブするのがお勧めだ。

 

また太田山神社という超アドベンチャー神社も有名だ。

参拝するには海岸沿いの崖を登って行くのだが、はっきり言って危険である。

複数で、明るい時間帯に行くことをお勧めする。

松前藩の祖である武田信弘にも縁があり、道南でも屈指の歴史を誇る神社である。

 

せたな町のカントリーサインは3つの町のシンボルがそれぞれ描かれいてる。

f:id:kamonji224:20170401133753j:plain

 

最後に、この町の観光ポスターは道内でも有数のインパクトを誇る。

最初に注目を浴びたのは冬のソナタをモチーフにした「夏のセタナ」

ヨン様もどきとチェジウもどきが寄り添っているポスターが北海道のコンクールで最優秀賞に選ばれた。

 

その後もビリーザブートキャンプやサザン、オバマ大統領、ローマの休日、ローラ、大谷翔平ドラクエ、最後の晩餐、ゲスの極み乙女などを喚起させるユニークな観光ポスターを毎年作成している。

 

http://www.town.setana.lg.jp/industry/syoukou/article68.html 

 

2017年はどんなポスターになるのか楽しみである。

空から日本を見てみよう ― 高松市 ―

空から日本を見てみよう

今回は香川県の県庁所在地である高松市

wikipedia:高松市

 

人口は40万人強。

江戸時代は高松松平家の治める高松藩の城下町として栄えた。

近代では国鉄宇高連絡船岡山市と結ばれており、四国の玄関口として発展してきた。現在でも国の出先機関や大企業の支店、四国の企業の本社が多く立地している。

日照時間が長く、降水量が少ないため塩田が盛んであった。

一方で大きな川がなく、渇水に悩まされることも多かったがダムの整備などにより近年では解消されつつある。

 

JR予讃線高徳線及び高松琴平電鉄が市内を通っている。

また、四国を代表する港町でもあり、近畿方面、山陽方面、瀬戸内海の島への連絡船の発着港となっている。

 

 

かつてのシンボル、高松城は明治時代に取り壊され、建物は一部が残っているのみとなった。跡地は玉藻公園として整備されている。玉藻とは高松城の別名であり、柿本人麻呂の和歌が由来である。

 

代りにシンボルとなったのが高松シンボルタワーである。

オフィス、イベントホール、商業施設などが入居し、四国屈指の床面積を誇る建造物となった。

 

四国最大の人口を誇る町であるが、自然豊かな景観や古い歴史も特徴的である。

屋島平安時代末期の源平合戦の舞台となり、那須与一が扇の的を弓で打ち抜いた場面が有名である。

現在は遊歩道が整備されており、寺院や水族館に展望台など高松の有名スポットの一つである。

 

屋島山麓には屋外型博物館の四国村がある。

江戸~明治時代にかけての民家、産業施設、灯台などが復元され展示されている。

また、安藤忠雄設計のギャラリーも建てられた。

 

高松でもっとも有名な公園は栗林(りつりん)公園である。

ミシュランの三ツ星にも認定された日本庭園であり、安土桃山~江戸時代にかけて造営が行われた。

大名庭園と呼ばれる、江戸時代に造園技術が最も発展した時期の日本庭園である。

f:id:kamonji224:20170331224035j:plain

 

高松市の域内には離島も含まれている。

中でも男木島、女木島はセットで雌雄島と呼ばれている。

男木島灯台は日本に二つしかない無塗装灯台であり、日本の灯台50選にも選ばれている。