世界ふれあい街歩き ― マラッカ ―

今日は2006年10月17日放送の世界ふれあい街歩きで訪れたマレーシアのマラッカについて調べてみた。

wikipedia:マレーシア

 

人口は3千万人強。マレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする国である。

マレー系、華人系、インド系の人々からなる多民族国家であり、イスラム教を国教とするが仏教やヒンドゥー教の寺院も少なくない。

 

マラッカはムラカとも呼ばれマレー半島南西部、マラッカ海峡に面する都市である。

 

 

マラッカは

 

マレー半島スマトラ島を隔てるマラッカ海峡は太平洋とインド洋を結ぶ交通の要衝であり、世界で最も航行船舶の多い海域の一つとなっている。

 

15世紀にはマラッカ王国の首都として貿易で栄えた。

明と結びつきが強く、永楽帝の命で大遠征を行った鄭和もこの地に寄港している。

15世紀前半にはイスラム化しており香辛料貿易の拠点であった。

当時のスルタンの王宮は今では博物館となっている。

 

1511年にポルトガルの植民地となり日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもアジアの布教はこの地を出発点としている。

今も残る当時の建築物がサンチャゴ砦と聖ポール教会である。

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聖ポール教会の前にはザビエルの像も建てられている。

 

17世紀にはオランダがポルトガルからマラッカを奪う。

総督邸のあった場所は現在オランダ広場と名づけられ、町のランドマークとなっている。

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周辺はキリスト教会やスタダイス(旧総督邸)などこちらも当時の建物が残る。

 

その後はさらにイギリスや日本の占領下となり、第二次大戦後独立する。

 

市内にはマラッカ川が流れており、西岸は中華系の人々とマレー人の女性が結婚した生まれたプラナカンと呼ばれる混血系の人々やその子孫が築いた町である。

プラナカンの男性はババ、女性はニョニャと呼ばれていた。

当時の生活の様子がわかるババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館やマレーシア最古のモスクであるカンポン・クリン・モスクなどが西岸のスポットである。

 

 

 

物語〇〇の歴史 ― パートⅡもあるのか ―

今年重心を置いて読み進めてきた中公新書の物語〇〇の歴史シリーズ

数冊読んだのでまた記録しておくことにする。

 

物語ウクライナの歴史 (2002) ☆☆☆☆☆

 

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)

 

 

肥料がなくても作物が育つと言われるほど豊かな土壌を持ち、世界屈指の穀倉地帯であるウクライナの地。それゆえに古代より東西南北からあらゆる民族がこの地を狙ってやってきた。

中世にはヨーロッパ随一の大国でもあったが、その後はロシアの一部に組み込まれ、近年の独立後もまだまだ混迷が続く状態である。

日本ではあまり馴染みのない国だが、その波乱万丈の歴史を知るには最適の一冊であった。

 

物語イランの歴史 (2002) ☆☆☆

 

物語 イランの歴史―誇り高きペルシアの系譜 (中公新書)

物語 イランの歴史―誇り高きペルシアの系譜 (中公新書)

 

 

古代よりアケメネス朝やササン朝などペルシア帝国として広大な版図を持っていた国。しかし、筆者は現代イランの専門家ということであくまでも「イラン」になった近年が中心。通史としては若干物足りないが、ペルシア帝国だけで一冊別に出す方が賢明だろう。日本とも関わりが深い国なので近代のイランを知るには良い。

 

物語スペインの歴史 人物編 (2004) ☆☆☆☆

 

物語 スペインの歴史 人物篇―エル・シドからガウディまで (中公新書)

物語 スペインの歴史 人物篇―エル・シドからガウディまで (中公新書)

 

 

 

物語スペインの歴史でも登場した人物も含めて、6人の偉人の人生からスペイン史を描く。建築家ガウディや画家ゴヤ、そして著者の専門であるセルバンテスなどの物語。一人一人の人生そのものよりは特徴的なエピソードに絞って描かれている。セルバンテスの章に至ってはもはや短編小説に近い。楽しかったがスペインの歴史といえるかどうか。

 

物語バルト三国の歴史 (2004) ☆☆☆☆

 

 

物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書)

物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書)

 

 

エストニアラトビアリトアニアの三国の歴史を著した一冊。

小さな三国で、ロシアの一地方のような位置にあるが歴史上はドイツやスウェーデンの影響もかなり受けてきた。エストニアラトビアは貿易港として栄えてきたのに対し、リトアニアは隣国のポーランドと関わりが深く、首都も内陸部にあるなど三国それぞれの個性を知ることができる。

ソ連から独立時のエピソードは淡々とした筆致であるものの、このシリーズでも指折りの感動的な場面だと思う。

 

物語イタリアの歴史Ⅱ (2004) ☆☆☆☆

 

物語 イタリアの歴史〈2〉皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで (中公新書)

物語 イタリアの歴史〈2〉皇帝ハドリアヌスから画家カラヴァッジョまで (中公新書)

 

 

 

シリーズ中最高傑作の誉れ高い物語イタリアの歴史のパートⅡにして作者の遺作。別媒体に連載されていたものをまとめたそうだ。

一人にスポットを当てながらもその時代時代の背景もよくわかる。パート1に比べて若干あっさりぎみの文章か。時間が許せばさらに傑作になっていたのではという気もする。

神恵内村 ― 海蝕崖と竜神 ―

今日は神恵内村について調べてみた。

wikipedia:神恵内村

 

人口は1000人足らず。

音威子府村と並んで道内最小の村である。

 

積丹半島の西側に位置し、明治時代より漁業で栄えてきた。

ニシン漁の衰えた現在もウニやアワビ、ホタテなど漁業が主要な産業である。

 

海岸線に沿って国道229号が村を貫いている。

隣の積丹町神恵内村の間が開通したのは1996年になってからであった。

国道沿いは山が海に落ち込む断崖絶壁であり、わずかな平地に人々が暮らしている。

道の駅も国道沿いにあり、台風の被害により数年間休業したこともあった。

 

人工的な観光スポットは少ないが、廃校を利用した日本郷土玩具館やあんない展望公園が見所か。

観光係長に任命されているどらごん太がカントリーサインに描かれている。

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古平町との間にある当丸峠の当丸沼に住んでいるらしい。

 

峠を降りてくると998温泉という変わった名前の温泉がある。

道道998号にちなんだ名称である。かなり塩分が濃く、その筋では有名である。

 

この村を訪れる人は海産物目当ての方が多いと思うが、日本一トンネルの多いエリアともいわれるだけあって、険しい海岸線の景色を楽しむ人も多い。

 

真ん中にぽっかりと穴の開いた窓岩やジュウボウ岬の西の河原が有名だが、現地に近づくには船でないと厳しい。

西の河原はかつて遊歩道もあったが、今では閉鎖状態である。

海岸線を辿って行けないこともないが、釣り人が熊と遭遇した例もあり、訪れるには地元の漁船をチャーターするのが良いだろう。

 

村役場近くの菅原商店は珍しい干物を売っており、村を通ることがあれば一度は訪れるべきだ。本当にこの店でしか取り扱っていない干物もある。

 

 

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 山形市 ―

今日は2013年10月22日に放送された空から日本を見てみようで訪れた山形市について調べてみた。

wikipedia:山形市

 

山形県の県庁所在地である。人口は約25万人で東北地方では3番目に人口が多い。

 

山形盆地の南部にあり、扇状地に市街地が広がっている。

盆地特有の気候で寒暖差が激しく、最高気温40℃を記録したこともあった。

 

中世から山形城の城下町として栄え、鋳物による土産物や仏具の製造が盛んになった。

山形、宮城に60店舗以上を展開するスーパー経営のヤマザワが本店を置いている。

仙台市とは約50kmの距離であり、結びつきが強い。

 

 山形城は鎌倉時代に現在の場所に建てられた。戦国時代の最上義光が城郭を拡大し、城下町も構築した。義光は伊達政宗の伯父にあたる。伊達氏とは戦も行ったが、豊臣政権及び江戸時代に至るまでどちらも大名として存続した。

 

江戸時代には度々藩主が変わり、城の維持も困難な状態であった。

明治期にはすでに廃城のようになっていたが、市が購入し再整備された。

一部は霞城公園となり、桜の名所になっている。

敷地内には博物館や郷土館なども建てられた。

郷土館はかつて済生館という病院であったが、凝洋風建築の傑作と言われ、移築されて郷土館に生まれ変わった。

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近くには最上義光歴史館も造られている。

 

少し離れたところには文翔館という郷土館もある。

こちらはかつての県庁舎でありルネサンス様式の建築として名高い。

 

市内には他にも公園・寺社など観光地が多い。

 

しかし、山形市最大のランドマークと言えばやはりここなのだろう。

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宝珠山立石寺。 山寺の通称で知られる。

天台宗の古刹である。山門から奥の院まで神聖な雰囲気に包まれながら石段を登って行くと上の風景が待っている。

松尾芭蕉もここを訪れ、「閑さや巖にしみ入る蝉の声」という句を詠んだ。

 

そしてもう一つ

市の南東部に位置し、蔵王連峰の麓にある蔵王温泉山形市を代表する観光地である。

歴史は古いが、全国的に有名になったのは戦後である。

毎日新聞による新日本観光地百選の中で山岳部門で見事1位に輝き、その後もスキー場の整備などで今なお人気の高い温泉地である。

 

 

地球絶景紀行 ― イグアスの滝 ―

今日は2011年4月15日の地球絶景紀行で訪れたイグアスの滝について調べてみた。

ブラジルとアルゼンチンの国境にまたがっている世界最大の滝である。

今回はアルゼンチン側から訪れた。

wikipedia:アルゼンチン

 

 

イグアスの滝は北東部のブラジルとパラグアイの間に突き出たミシオネス州内にある。

面積は小さいがパラナ川ウルグアイ川、イグアス川と南米を代表する大河を抱え、熱帯雨林も豊富で自然に溢れた地である。

 

イグアスの滝周辺は国立公園となっており、オセロットジャガー、アメリカバクなど希少品種も生息する場所だ。

 

 

 

イグアスの滝は1000kmを越えるイグアス川下流部で全長4km、最大落差80mになる。

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大地が咲けたような地形で、低音が鳴り響くことから悪魔の喉笛とも言われている。

 

地殻変動で断層ができ、川の流れが変わり落差もできたことでこのような巨大な滝ができたらしい。

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写真で見ても若干恐怖を感じるレベルである。

 

展望台もギリギリまで行けるし、ボートで滝つぼにアタックするツアーもあるので滝ファンは必ず訪れるべきである。

 

なお、上流のブラジルとパラグアイの国境付近にはイタイプダムというコンバインダムがあり、両国向けに水力発電を行っている。パラグアイに至ってはこのダムの発電だけですべての電力を賄えるらしい。

 

上流にそんなダムがありながらこの水量である。

スケール広すぎ。