東京散歩 ― 早朝なら人がいない ―

1月と2月に東京で行われた某研修に参加した。

1日目は研修を受け、次の日は帰宅のみという行程が3度繰り返された。

毎度毎度早朝に目が覚めてしまい、暇を持て余して散歩することとなった。

 

宿泊したのは品川駅近くの某ビジネスホテル。

周りをぐるりと歩いてみて若干東京の地理に詳しくなったような。

 

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バンダイナムコ未来研究所

本社機能を持つビルのようだ。

 

 

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レインボーブリッジとその横のループ橋

映える写真ではないですね。

 

 

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 大正時代に活躍していた船らしい。

こういうのがつらっと歩道わきにあるのが北海道とは違う。

 

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早朝の泉岳寺

浅野内匠頭大石内蔵助など忠臣蔵に登場する人物が眠る場所

 

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逆光になってしまったが大石内蔵助の像

 

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泉岳寺境内

早朝だがお参りする人もちらほら。

 

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福沢諭吉が私財を投じ、ドイツから帰国した北里柴三郎が研究をおこなっていた伝染病研究所がここの始まりだそうだ。

 

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目黒川

桜の名所で有名のようだがまだ時期ではなかった。

 

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日本電産のビル

 

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オリンピック出場選手が3名

 

 

士幌町 ― 牛肉と最強農協 ―

今日は士幌町について調べてみた。

wikipedia:士幌町

 

人口は約6千人。

平野部が多く、そのほとんどが畑作地帯となっている。

北部、東部は丘陵地帯である。

 

国道241号が南北に、国道274号が西部を走り、一部は重複区間となっている。

その交点近くに移転オープンしたばかりの道の駅士幌、町の東部に道の駅士幌温泉が立地している。

 

かつては国鉄士幌線が通っていたが、1987年に廃止となった。

中士幌駅跡には看板が、士幌駅跡は鉄道記念公園となっており、かすかに鉄道の存在した縁を残している。

また北海道拓殖鉄道を町内を通っていたが、駅は設けられなかった。

 

開拓者は明治時代の濃尾地震で被害を受けた人々が多かったと言われている。

ジャガイモ、牛肉、ミニトマトなどの生産が盛んであり、カントリーサインにも描かれている。

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市街地には農協記念館なるものがある。士幌町の農業の歩みや士幌町のポテトチップスなどの展示があり、士幌町出身でJA会長に登りつめた太田寛一氏の記念室まである。

いわゆる6次産業化の先駆けのような仕組みを作ったようで、士幌町きっての名士のようだ。知名度は高くないがなかなかの施設のようなので一度訪れてみたい。

 

町の西側には1時間ほどで山頂へ行ける東ヌプカウシヌプリが鹿追町にまたがっている。ナキウサギも生息しており、麓にはヌプカの里というアウトドア施設もある。観光地の少ない士幌町には珍しいレジャー施設である。

 

 

空から日本を見てみよう ― 松江から出雲大社へ ―

今日は2014年1月7日放送の空から日本を見てみようで紹介された島根県の東部について調べてみた。

 

最初は安来市

wikipedia:安来市

 

人口は4万人弱。

弥生時代から古墳時代にかけて出雲地方を支配していた強力な王朝の中心部であったと考えられている。市内の造山古墳は国内最大級の方墳である。

またたたら製鉄も古代より盛んであった。隆盛は明治時代半ばまで続く。市内の和鋼博物館は日本最大級の製鉄に関する博物館であり、たたら製造関連や日本刀などが展示されている。かつて司馬遼太郎も訪れ、紀行文集「街道をゆく」にも収録された。

また、足立美術館横山大観コレクションと日本庭園で有名である。

 

続いて奥出雲町

wikipedia:奥出雲町

 

人口は1万2千人。2005年に仁多町と横田町が合併して発足。

山間部の盆地を中心に発展した、 砂鉄によるたたら製鉄が盛んであった地域である。

 

現在も日本で唯一たたら製鉄を行っている工場がある。ここでは日本刀の材料となる玉鋼・和鋼を生産している。

 

また大馬木川上流には鬼の舌震という巨岩や甌穴が数多く露出している峡谷があり、遊歩道も整備されている。与謝野晶子がこの地を訪れた時にいくつもの和歌を詠んだことでも知られる。

 

続いて雲南市

wikipedia:雲南市

 

人口は約3万8千人。島根県では唯一海に面していない市である。

大東町加茂町木次町三刀屋町掛合町吉田村が合併して新設された。

南部は中国山地、北部は出雲平野に属し標高の差が大きい。

尼子氏の拠点の一つであった三刀屋城や日本の滝百選に指定された竜頭八重滝が名所である。

 

続いて松江市

wikipedia:松江市

 

人口は約20万人。

宍道湖や中海、中国山地に挟まれた位置にあり、山陰最大の人口を擁する都市である。

島根県の県庁所在地でもある。

古代から奈良時代の遺跡が多く、アジアとの玄関口であったことも窺える。出雲玉作史跡公園では出土品を展示した資料館や、竪穴住居の復元などを見ることができる。

中世には京極氏や尼子氏の支配下にあった。

関ヶ原の戦後、堀尾吉晴が藩主となり、松江城を築城。

現在でも改修はされているものの天守が現存し、国宝に指定されている。

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北側の堀沿いの通りは塩見縄手と名づけられ、武家屋敷の街並みが残る。

また文学者小泉八雲の旧居や明々庵という茶室などの史跡も見どころだ。

 

西部の宍道湖汽水湖であり、生息する魚類も豊富である。

北岸を一畑電鉄、南岸を山陰本線が通っている。

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嫁が島と夕日。

松江城や大山などを背にした写真も可能で、撮影スポットは多い。

 

東部の中海には大根島、江島という島があり、道路で本土と結ばれている。

共に牡丹の栽培が盛んで、庭園を訪れる人も多い。

 

北部の日本海沿いは島根半島に属し、複雑な海岸線を持つ。加賀の潜戸や美保関灯台などの景勝地が見所だ。

元日本代表の小村選手の出身地である。

 

最後は出雲市

wikipedia:出雲市

 

人口は約17万人。

出雲平野を中心に北部の島根半島、南部の中国山地と多様な地形を持つ。

神話の舞台となった地であり、荒神谷遺跡、西谷墳墓群、今市大念寺古墳など大規模のの古墳が発見されている。

また出雲大社須佐神社など歴史の古い神社の存在から、朝廷との結び付きも強かったと考えられている。

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出雲大社。祀られている大国主命は縁結びの神様として知られる。

空港の名前にまで縁結びが使われるのだから浸透力はとてつもない。

 

出雲大社の裏手、半島部分は険しい地形で日御碕の灯台は世界の灯台百選にも選ばれた。

また木造躯体の出雲ドームやシジミの有名な神西湖に奇岩や断崖、石柱が並ぶ立久恵峡などもぜひ訪れるべき場所と言えるだろう。

 

地球絶景紀行 ― マチュピチュ ―

今日は2011年6月10日放送の地球絶景紀行で紹介されたペルーのマチュピチュについて調べてみた。

 

ペルー第二の都市、インカ帝国の都であったクスコを出発。

列車やバスでマチュピチュへ向かうことも可能だがオリャンタイタンボという町からトレッキングも可能である。

 

インカ道と呼ばれるこのルート。

首都のクスコとアンデス山脈に点在する都市を網の目のように結んでいた古道である。

20世紀初頭に発見されたマチュピチュへ向かう道はこの古い道が残っていたものなのだ。

 

マチュピチュは山の尾根に造られた古代都市である。

標高2500mの高さに位置し、15世紀ころまで存在していたと考えられる。

神事を行う場所、あるいは王族の別荘地の様な位置づけであったようだ。

 

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北部には太陽を観測する石、神殿、塔など宗教的色合いの強い遺跡が固まっている。

 

南部は日当たりのよさを生かした段々畑が広がっていた。

 

マチュピチュは山裾からは視界に入らず、スペイン人の侵略・破壊を逃れたとみられる。

その後20世紀に入るまで忘れられた土地となっていた。アンデス文明は文字を持たなかったため、今も謎の多い遺跡である。

また、この地は歴史的価値だけではなく、アンデスとアマゾンの生態系の境目に当たっており、どちらの特色も混在している。希少生物の種類も多く、まさに秘境である。

なぜこのような険しい土地に町が造られたのかは未だ謎である。ただ、現代に住む我々だけではなく、インカ帝国の人々にとってもこの絶景は心を揺さぶられる場所であったことは間違いないようだ。

 

 

世界ふれあい街歩き ― サンティアゴ ―

今日は2007年2月6日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたチリの首都サンティアゴについて調べてみた。

wikipedia:サンティアゴ

 

 チリ中央部の盆地に位置し、19世紀前半にチリの首都となる。

 

南米では比較的大規模の国際都市であり、空港や地下鉄など交通インフラも整えられている。

 

歴史的建造物も多彩である。

まずはサンティアゴのシンボル、サン・クリストバルの丘。

サンティアゴのどこからでも見ることができ、丘の上にはマリア像が建っている。

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続いてサンタルシアの丘。

かつての要塞跡があり、近代化されたサンティアゴの市街地を見下ろすこともできる。

 

町の中心地、アラマス広場。

周辺には大聖堂や博物館、独立記念碑などがあって観光の中心地である。

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大聖堂。外観は重厚な石造りの様式。

じっくり見て回ると2時間はかかるようだ。

近くにある中央郵便局も文化財として人気の建物である。

 

現役大統領府のモネダ宮殿や旧国会議事堂であるエドワルド宮殿は白を基調とした荘厳な建物である。現在の国会議事堂はバルパライソに移転している。

 

アルマス広場を中心とする歴史的建造物群と近代化された高層ビルが立ち並ぶ街並みが同居する都市である。なかなか馴染みのない国ではあるが、意外と日本と似ている部分もあって行ってみれば楽しそうな気がする。