世界ふれあい街歩き ― 北京 ―

目次

 

1.北京の概要

世界ふれあい街歩き。今回は中国の首都、北京。

wikipedia:北京

 

人口は2千万人を超えるメガシティである。

古代は都の洛陽より離れ、匈奴などの侵攻も多発する辺境であったが徐々に北方の交易、朝鮮半島高句麗などに対する戦略的な位置から重要な都市となっていく。

現在でも万里の長城が北部の山岳地帯に聳えている。

 

時代が下って女真族の王朝である金が首都とし、元の時代には大都という名で元朝の都とされた。

明の第三代皇帝、永楽帝は名を北京と改め、現在に至っている。

 

華北平原の北端に位置して南部以外は山地に囲まれている。

華北平原は伝統的に中原と呼ばれ、中国の歴史の中心的位置を占めてきた。

黄河が流れ、地味豊かで温暖であるが降水量は少なく、近年は水不足が不安視されている。

 

2.北京の観光地

 

北京市街地の観光のスタートはやはり天安門

清の順治帝時代に建設され毛沢東が建国宣言を行った場所である。

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元々は明の王宮である紫禁城故宮)の門である。

紫禁城も清の時代に再建され、ラストエンペラーの溥儀の時代まで皇帝が居住していた。

現在では博物館となっている。

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歴史の古い都市のため、世界遺産も多い。

もっとも古い時代のものは北京原人の遺跡が発掘された周口店。

 

頤和園は金朝~清朝にかけて拡大されてきた庭園である。

皇帝の私有財産であったが、現在では一般開放されている。

 

天壇は明~清の時代の皇帝が祭祀を行った場所である。

豊作や雨乞いの祈りをささげたり、歴代皇帝の位牌が置かれている場所でもあった。

ここも明の永楽帝が建立したとされている。

 

明の十三陵は永楽帝以降の皇帝一族の陵墓群である。

一部は発掘されており、地下宮殿として公開もされている。

 

大運河は隋の時代に作られた。

北京から杭州までを結ぶ中国の大動脈である。

現在では一部放棄されている部分もあるものの、2千トン級の船が通行できるよう整備されている個所もあり、千年以上の時を経て今なお現役の運河である。

 

ちなみに街歩きではこれらの有名スポットはスルーして、后海界隈を散策した。

天安門の北側に位置する湖を中心とした北京の下町地区である。

建物は古いたたずまいを残し、レンガの壁にはさまれた胡同(フートン)と呼ばれる路地を歩く。

 

最大の繁華街である王府井は北京の銀座とも呼ばれ、観光客が絶えない。

皇族の屋敷の井戸があった事が地名の由来だそうだ。

ここも元の時代から続く胡同と呼ばれる横丁の四つの建物が中庭を取り囲む四合院様式が特徴的。