人口は40万人強。
近代では国鉄の宇高連絡船で岡山市と結ばれており、四国の玄関口として発展してきた。現在でも国の出先機関や大企業の支店、四国の企業の本社が多く立地している。
日照時間が長く、降水量が少ないため塩田が盛んであった。
一方で大きな川がなく、渇水に悩まされることも多かったがダムの整備などにより近年では解消されつつある。
また、四国を代表する港町でもあり、近畿方面、山陽方面、瀬戸内海の島への連絡船の発着港となっている。
かつてのシンボル、高松城は明治時代に取り壊され、建物は一部が残っているのみとなった。跡地は玉藻公園として整備されている。玉藻とは高松城の別名であり、柿本人麻呂の和歌が由来である。
代りにシンボルとなったのが高松シンボルタワーである。
オフィス、イベントホール、商業施設などが入居し、四国屈指の床面積を誇る建造物となった。
四国最大の人口を誇る町であるが、自然豊かな景観や古い歴史も特徴的である。
屋島は平安時代末期の源平合戦の舞台となり、那須与一が扇の的を弓で打ち抜いた場面が有名である。
現在は遊歩道が整備されており、寺院や水族館に展望台など高松の有名スポットの一つである。
江戸~明治時代にかけての民家、産業施設、灯台などが復元され展示されている。
また、安藤忠雄設計のギャラリーも建てられた。
高松でもっとも有名な公園は栗林(りつりん)公園である。
ミシュランの三ツ星にも認定された日本庭園であり、安土桃山~江戸時代にかけて造営が行われた。
大名庭園と呼ばれる、江戸時代に造園技術が最も発展した時期の日本庭園である。
高松市の域内には離島も含まれている。
中でも男木島、女木島はセットで雌雄島と呼ばれている。