目次
1.上志文駅跡
岩見沢の市街地から市の東部へ向かう。
万字線は今も現役の駅である岩見沢駅、志文駅を経て上志文駅、朝日駅、美流渡駅、万字駅、万字炭山駅と計6駅、約24kmの路線であった。(正式には志文駅を起点としていた)
今日は廃線となった部分のみを巡ることにする。
まずは上志文駅跡からスタート。
みなみ公園を出て国道12号を越える。
道道789号線を経て道道30号線に変わり、やや南下したあたりだ。
途中セイコーマートがあったので地図を確認がてら駐車。
すると駐車場の隣の草むらに何か像と碑のようなものがあった。
近くに寄ってみる。
廃校となった上志文小学校の校歌と勉学に励む像である。
二宮金次郎なのだろうか。
今から20年近く前に廃校となったようだ。
近所にはメープル小学校という風変わりな名の小学校がある。
上志文小学校を含む近隣の小学校と統廃合されたようだが、生徒は少なく、むしろ少人数教育を特色としているらしい。
話がそれてしまったが、上志文駅跡はセイコーマートよりもう少し南側である。
萩の山市民スキー場の目の前にあるのだが、民家に紛れているので知らないと気付かないだろう。訪問する場合は事前にストリートビューで確認しておいた方が良い。
道路なのかスキー場の敷地なのか私有地なのかやや不明瞭であるが、とりあえず建物は確認できた。
私有地のようにも見えるので、敷地内には立ち入らず道路から見学した。
駅舎がそのまま残されているらしい。
ストリートビューを見ると
道道がわから見ると、出入口に「上志文駅」と書かれた看板のようなものがある('ω')ノ
ここを訪れる人々に教えてくれているのだろうか。親切丁寧なことだ。
目印は特にないが道道30号に面する民家の裏側、スキー場へ向かう道に面している。
岩見沢近辺の鉄道は炭鉱の発展に合わせて鉄路を伸ばしていったが、この駅は炭鉱ではなく旅客がメインであったようだ。
裏手のスキー場を訪れる客が最も多かったのだろうか。
鉄道は廃線となり、小学校も統廃合の対象となったが特に寂れきった印象もない。(多少の廃屋はあったが)
北海道のどこにでもある田園風景が広がっている。
隣の朝日駅以降は徐々に昭和の香りを感じられるようになっていくのだが、それはまた改めて。
2.上志文駅と近隣の歴史
2020年5月追記
この辺りの開拓が始まったのは1893年頃。
その前には坂市太郎が夕張の調査でこの地を往来した。
もう少し南西に幌向川の渡船場があり、岩見沢から夕張への重要ルートとなっていた。
開拓後間もなく渡船場両岸に栗山開拓者向け商店街もでき始めるが、大正初期の万字線開通後は寂れ、駅前に市街が移った。
上志文駅は1914年に開業。
それ以前にも万字方面への道路及び馬車鉄道が開通し徐々に便利になっていく地域であった。
駅は2面2線のホーム構造、さらに副本線や貨物引込線も有していた。
現役時代の駅舎は今の2倍くらい幅がある建物だった。
1962年貨物取扱廃止。
国土地理院地図の1970年代後半の航空写真。
当時は萩の山市民スキー場の最寄り駅として特別列車が運行されたこともあったそうだ。