国鉄のあった風景 ― 万字線鉄道資料館 ―

目次

 

1.万字線鉄道資料館

道道38号を岩見沢市街地に向かって戻る。

 

途中美流渡の市街地で道道を離れ、町の北側へ。

 

向かったのはここ。

万字線鉄道資料館という建物が奈良町というところにある。

美流渡は旧栗沢町域内だったが、奈良町は岩見沢市に属していた。

それぞれの自治体が鉄道資料館を近距離に作ったらしい。

 

ここも通常は開いていないがとりあえず建物を見に行く。

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まわりは住宅が少しと畑、そして山

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2.思わぬ出会い

うろうろしていると通りかかった女性に声をかけられた。

「中をご覧になりますか」

「え、開けれるんですか?」

「鍵取ってきますのでちょっと待ってください」

そんなつもりはなかったが、せっかくなのでみせていただく。

すごい偶然。汚い恰好をしていなくて良かった。

 

 

ほどなくして戻ってこられた。

「ここは町内会で管理してるんです。でも1~2年したら別の場所に移るんじゃないかなあ。市も予算がないみたいだし」

確かにその通りだろう。それにしても偶然が続く。

 

見学者名簿に記入する。週に一人くらいいるようだ。

「私には価値わからないけど、すごく喜ぶ人もいる(笑)」

かなり前の町内会長さんが集めた資料だそうだ。

上志文と朝日駅のものが多いらしい。やはり旧岩見沢市の管轄ということが影響しているのかな。

 

許可をもらって写真を撮らせてもらう。

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現役バリバリのSL達

 

疾走する車両の雄姿

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駅舎は左右どちらも朝日駅の写真。

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大きな時刻表。夏の臨時列車増発とある。

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大きな木の切り口に万字駅と書かれている。後ろの黒電話も国鉄で使われていたのだろうか。

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右下はさよなら列車を収めたもの。

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その列車に取り付けられていたプレート。快速だったんだね。

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幾春別~岩見沢万字線ではなく幌内線では?なぜここに笑

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駅スタンプ。このうち3つは実際に押せるようになっている。

 

国鉄の廃止対象路線一覧。

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歌志内線はこの時点では第三セクターが有力だった模様。

幌内線第三セクターを希望していたようだ。

 

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廃止対象路線図。

 

 

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エキゾチックな顔立ち。マネキンの資料としての価値はどうなんだろう。

 

ざっと写真を撮ってもう一度見てみる。

にわか鉄道ファンとしては大満足である。

お礼を言って建物を出る。

気を付けてお帰り下さい、と温かい言葉をいただいた。

 

という訳で今後資料がどうなるかわからないので、興味のある人は早めに訪れるべきである。玄関に連絡先がはってあるので電話すると開けてもらえる。土日も関係ないそうである。 

もちろん常識的な時間にマナーを守って訪れよう。

 

廃線跡めぐり、はまりつつあるな・・・

 

3.鉄道資料館近隣の歴史

2020年5月追記

この辺りの開拓は1895年頃徳島藩からの移住者によって行われた。

大正期に石油の採掘を行ったことから石油の沢という地名がつけられる。

1916年木材会社が創立、まもなく奈良炭鉱が開坑。

1939年炭鉱住宅街が建築。1941年炭鉱開発功労者に因み奈良町に改称。

1967年閉山となった。

 

国土地理院地図の1970年代航空写真。

 

栗沢町の美流渡駅そばにあった奈良炭鉱(東幌内炭鉱)であったが、幌向川以北は岩見沢市であり鉱区は2つの市と町に跨っていたようだ。

最盛期はもう少し前か。

 

 

1960年代の航空写真。

奈良町の住宅街が70年代の2倍ほどに広がっているように見える。

 

 

残念なことに2021年7月閉館となったそうだ。

貴重な資料を見ることができて良かった。声をかけていただいた女性に感謝です。

美流渡交通センターにある資料と合わせて朝日コミュニティ文化交流センターに集約予定との記事が北海道新聞空知版の8/13付けに載っていたらしい。できるだけ多くの人に見てもらえる環境になるといいですね。

 

 

 

 

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