紋別の市街地 ― 駅の跡は駅 ―

目次

 

 

1.紋別駅跡

7月1日~2日

所用で紋別へ行ってきた。

(じいちゃんが、故郷にもう一度行きたいと言ったので連れて行った)

 

帰りは別行動となったので、一人でふらふらしながら札幌へ帰ることに。

まず向かったのはスーパー・お土産屋・温泉施設が一体となっているオホーツク氷紋の駅。

 

しかし、朝早いのでまだ開いていない。

 

もっとも、目的は店舗ではなく

駐車場に建てられているこんなものの見学だったりする。

 

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鉄道の駅名票である。

                                                                             

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在りし日のSLの勇姿

 

説明書きにあるように、ここは元々国鉄名寄本線紋別駅だったのだ。

 

1989年の廃線後、市街地の活性化を目的としてこのような複合施設が建てられた。

紋別駅は名寄本線最大の駅でもあったそうだ。

現在も名称に「駅」の文字を残し、旅行者がやってくるように苦心しているのだろう。

向かいにはバスターミナルがあるので、足を運びやすくはなっている。

 

2.紋別駅の歴史

1921年 名寄東線の中湧別駅~興部駅間の開通に伴い開業。同年名寄本線が全線開通となる。

さらに1923年開業の渚滑線の列車も紋別駅まで乗入を行うようになる。

名寄本線中間駅では最大の規模を誇っていたが、1984年貨物取扱い廃止。

1989年には名寄本線の廃止に伴い廃駅となった。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真 

 

駅舎横には貨物用ホームもあり、専用の側線もあった。 

駅南側の鉄道用地は現在メモリアル通りという愛称がついている。

 

 

 

3.鴻之舞金山

駐車場には、鉄道の史料以外にも紋別に所縁のあるものが展示されている。

 

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ただの岩のようだが、ただものではない。

 

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鴻之舞鉱山

東洋一の金山とある。

そう、紋別市には金山があったのだ。

となると、当然上の写真の岩は金鉱石である。

 

 

現在の鴻之舞地区。

市街地とは離れた、かなりの山奥である。

1973年に閉山。今は閉山となって久しく、住む人はいない。

 

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最盛期の写真

市街と呼ばれるほど賑わっていたのだ。

人口は最大13000人を数えたという。

 

現在も住友金属の所有地となっており、工業廃水を清澄化する沈殿池は稼働している。

 

 また、鴻之舞のやや北側にある上藻別駅逓には鴻之舞の史料も保存されている。

 

今回は行けなかったが、次回はぜひ訪れてみたい。

 

 1943年から1948年の短い期間だが鴻紋軌道という簡易軌道が紋別駅まで設置されていた。しかし難工事のため完成が遅れ、完成時には戦中のため鉱山は休山。戦後鉱山は復興したものの道路整備もあって鉄道の利用は低迷。わずか5年間という短い運行を終えた。

 

国土地理院地図の1960年代の航空写真。

 

今と比べると建物はかなり多いようだが、ピーク時はもっと多かったのだろうか。

 

 

 

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