さて、歴史的建造物を眺めた後は、廃線を辿ることにする。
現在でもJR函館本線が市中を貫いているが、かつては南小樽駅から手宮線という路線が分岐していた。
まだ国鉄時代の話である。
空知方面から運ばれてきた石炭を小樽港から船で本州へ運搬していた時代、すなわち明治時代から昭和中期にかけての頃だ。
炭鉱の衰退と共に小樽の町も寂しくなっていく。
札幌が巨大化していったのとは対照的だ。
そんな時代に小樽の町中を走っていた鉄道跡が今も散策路として残されている。
南小樽駅にも線路跡が残っているが、その先はしばらく姿を消す。
最初に現れるのがここだ。
町の真ん中に線路が残され、脇の遊歩道を歩くことができる。
手宮線の由来が記載されている。
手宮ー札幌間は北海道最初の鉄道だった。すなわち、今の小樽駅は後になってから建てられた駅なのである。
ベンチにも蒸気機関車の絵が。
スタンドバイミーとはちょっと違うが、哀愁は充分に感じられるだろう?
進んでいくと、色内駅跡にたどり着く。
100年を超える歴史があった。
色内駅について。
手宮線は貨物運搬が主であったが、この駅は町の中心に近いこともあって旅客が多かったようだ。
今は待合所のような雰囲気となった。
往時の色内駅。
自分が写りこんでしまったのはご愛嬌。
この先も、線路は続く。