今日は2014年1月21日放送の空から日本を見てみようで紹介された佐賀平野から有明海について調べてみた。
最初は神埼市
人口は約3万人。
市北部には福岡県と佐賀県の県境にまたがる脊振山地がある。中央~南部は佐賀平野に位置し、筑後川に接している。
史跡が多い町である。
数寄屋造りの日本庭園が有名な九年庵やしだれ桜が美しい宝珠寺。
クリークまたは溝渠と呼ばれる水路を防御に利用した直鳥城や姉川城。この地方で独自に発達した低平地城と考えられている。
かつては、町中にも水車が多く水車の里遊学館に再現されている。
江頭2:50の生誕地である。
続いて吉野ヶ里町
人口は1万6千人ほど
神埼市と同じく南北に長い形をしており、北部は脊振山地、南部は佐賀平野に属している。
農業が盛んで、霊線寺跡は緑茶栽培の発祥の地とも言われている。
1989年に弥生時代の大規模な環濠集落である吉野ヶ里遺跡が発掘された。
遺跡一帯は神埼市にもまたがる公園として管理されている。
続いて佐賀市
人口は約23万人。県庁所在地である。
北部は脊振山地に属し、南部は有明海北岸に広がる佐賀平野に位置する。
平野部は海抜が低く、水路や河川が網羅しており古くから田園地帯であった。
戦国時代には竜造寺氏が、江戸時代には鍋島氏が支配していた。
1602年に佐賀城が建築される。明治時代の佐賀の乱でほぼ焼失し、わずかに残った遺構が文化財に指定されている。非常時には主要部を除いて水没させる仕組みであり、沈み城と呼ばれていた。
佐賀城以外にも史跡が多い。
久保泉町、金立町、大和町付近には古墳が点在している。
江戸時代の武士の心得を記した書物葉隠の発祥の地でもある。
幕末には最も科学技術の進んだ藩であり、日本初の実用反射炉や三重津海軍所の跡なども立ち寄りスポットである。
国鉄佐賀線の筑後川昇開橋は佐賀線の廃線後も文化財として残された。現在は通行も可能である。
毎年嘉瀬川河川敷で熱気球の国際大会が行われている。
国内大会を含めると40年近い歴史を持ち、佐賀市の最大のイベントである。
景勝地も多く脊振山地には北山ダムと嘉瀬川ダム、九州の嵐山とも呼ばれる川上峡に巨石パークなどが有名どころだ。
旧東与賀町にある東よか干潟はラムサール条約に登録されている水鳥の飛来地であり、鳥獣保護区に指定されている。ムツゴロウなども生息する豊かな生態系の地だ。
最後は小城市
人口は4万人強
佐賀県の中央部に位置し、北部は山地、南部は有明海に面する平野部になっている。
旧小城町は小京都と呼ばれる地域の一つであった。
小城公園は鍋島家が作った名庭園で桜やツツジの名所である。
天山県立自然公園の清水の滝は滝行の霊場になっており、衹園川に注ぐ。
下流部も清流であり、夏場にはほたるの郷が人気だ。