空から日本を見てみよう ― 高知市 ―

今日は2014年6月24日放送の空から日本を見てみようで紹介された高知県高知市について調べてみた。

wikipedia:高知市

 

 

人口は約33万人。

四国を制圧した長宗我部元親及び江戸時代に土佐藩藩主となった山内氏の城下町として栄えた。

市の中心部は平野で鏡川が流れている。南部は太平洋を臨み浦戸湾によって市街地が二分されている。

市街地は高知城はりまや橋を中心に形成されている。

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江戸時代に建造された天守と本丸が両方残っている。

江戸時代のものがどちらも現存しているのは高知城のみである。

 

がっかり名所とも言われるはりまや橋は江戸時代、豪商であった播磨屋と櫃屋の間を隔てる堀の往来のために架けられた私設の橋であった。

近代になって目抜き通りとなり、川は埋め立てられたものの橋はいまだ町のシンボルとして親しまれている。

 

近くには武家屋敷が多かった。

幕末の藩主である山内容堂公邸や下屋敷は当時の武家屋敷の姿が残っている。

そして高知の生んだ最大のスター坂本龍馬の記念館に生誕地。龍馬が通った日根野剣術道場や川田小龍の塾跡などが鏡川の北側に点在している。

 

鏡川を渡ると夜景と桜のスポット筆山公園

さらに南には自由民権記念館。自由民権運動を率いた板垣退助土佐藩出身である。

 

町の東側にはシャガールのコレクションで有名な高知県立美術館に日本の植物学の父と言われる牧野富太郎記念館。

そして龍馬の良き兄貴分であった武市半平太の旧宅と墓がある。

 

そして市の最南部、太平洋岸の桂浜。

景色もよいが、やはりここも龍馬ファンの聖地。

坂本龍馬記念館に銅像とここだけで1日いたくなる場所である。

 

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地球絶景紀行 ― リオデジャネイロ ―

今日は2011年10月28日放送の地球絶景紀行で紹介されたブラジルのリオ・デ・ジャネイロについて調べてみた。

wikipedia:リオデジャネイロ

 

 

 

人口は600万人を超える。人口・経済規模共にサンパウロに次ぐ国内第二位の都市である。1960年まではブラジルの首都であった。また、ナポレオンに追われたポルトガル王室が在位していた時代はポルトガルの首都でもあった。

 

町のシンボルはコルコバードの丘にある巨大なキリスト像

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高さ40m、ブラジルの独立100周年を記念して建設された。

リオのみならずブラジルのシンボルともいえる。

 

リオと言えばビーチも有名。

コパカバーナビーチは遊歩道も設置され、ブラジル最大のリゾート地。

 

ビーチの北東には奇岩ボン・ヂ・アス-カルが聳える。

高温で変成された片麻岩の一枚岩である。

 

市街地では大聖堂や市立劇場などの歴史的建築物にかつて宮殿の庭園であったキンタ・ダ・ボア・ヴィスタなどの観光スポットがある。

 

しかしブラジルと言えばやはりサッカー。

フラメンゴヴァスコ・ダ・ガマフルミネンセなどの有名チームの本拠地である。

世界最大のスタジアム、マラカナンはかつては20万人もの収容人数を誇っていた。

現在は改修により8万人ほどとなっている。

1950年ワールドカップウルグアイに敗れたマラカナンの悲劇の舞台でもある。

 

2016年のオリンピックでブラジルは悲願の金メダルを獲得したが、その舞台もこのマラカナンであった。

 

 

 

世界ふれあい街歩き ― レオン ―

今日は2007年8月8日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたスペインのレオンについて調べてみた。

wikipedia:レオン(スペイン)

 

 

 

スペイン北部のカスティーリャ・イ・レオン州に属する。

ローマ帝国時代、金鉱のラス・メドゥラスで採掘された金の輸送路として栄え、ローマ帝国の軍隊が取り締まりを行っていた。

レオンという地名は当時の軍隊を意味するレヒオンがなまったものと言われている。

 

その後西ゴート王国が支配する時代でもローマ帝国の要塞が維持され、レコンキスタの軍事的拠点となり、現在でも町の中には当時の城壁が残っている。

中世から現代に至るまでサンティアゴ巡礼の道において、巡礼者が最後に通過する大きな街であり、多くの人が訪れる。

 

現在でも中世の建物が残る。

最も有名なものはレイヨナン式ゴシック建築のレオン大聖堂

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県議会として使われているロス・グスマーネス宮殿やガウディの作品であるカサ・ボティネスも見逃せない。

 

 

占冠村 ― 陸の孤島からリゾート地へ ―

今日は占冠村について調べてみた。

wikipedia:占冠村

 

人口は約1300人。村域の90%以上が山林である。

 

国道274号が村の外れをかすめて通る。

日高町南富良野町占冠村を結ぶ国道237号が村の中心部を南北に縦断している。

 

小さな村ながら占冠駅、トマム駅と2つの駅に特急列車が停車する。

駅はこの2つだけ。

この他にかつてのニニウ集落向けの旅客駅となる予定だった清風山信号場、同じく停車場となるはずだった東占冠信号場、滝ノ沢信号場、そしてトマムからホロカに名称を変えたホロカ信号場などが設けられた。

停車場から信号場に計画が変更されたのはあまりにも過酷な生活ゆえ、鉄道が開通する前に離農によって集落が消滅してしまったためである。

占冠駅が開業したのが1981年、国道274号の旧穂別町福山と占冠間の開通は1991年と近年になるまで交通網が整備されているとは言い難い状況であった。

 

そんな状況であったが、現在では村の中心部に道の駅ができ、高速道路も帯広まで開通しこちらも占冠トマムにICが設けられた。北海道の東西の中間点として小さな村ながらも存在感を示している。

 

観光地としては渓谷美で有名な赤岩青厳峡やリニューアルされたニニウキャンプ場などがあるが、なんといっても有名なのは占冠の名を一躍全国に知らしめたトマムリゾートだろう。

 

北海道開発庁の号令で鉄道開通に合わせ、過疎対策を兼ねてスキー場とホテルが1983年にオープン。その後もゴルフ場、高層ホテルと次々に建築が進み山岳リゾートにしては類のない巨大な設備となった。

しかし時代はバブル崩壊。オーナーや運営会社は経営破綻に陥り、紆余曲折を経て星野リゾートが取得。

雲海テラスは道内屈指の人気スポットとなり、課題であった夏の集客に大きく寄与。

訪日客の増加もあって2013年の年間入場者数は初めて10万人を超えた。

 

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空から日本を見てみよう ― 三条市&燕市 ―

今日は2014年6月17日放送の空から日本を見てみようで紹介された新潟県燕市三条市について調べてみた。

まずは燕市

wikipedia:燕市

 

人口は約7万8千人。

市域は大半が平地である。

信濃川下流に位置し、かつては洪水による被害が絶えなかった。

1909年、信濃川を分水する工事が着工。当時東洋一の大工事と言われ、13年間の期間を経て完成した。

その後も改修は続き、現在も掘削や橋の架け替えなどが行われている。

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町のシンボルは旧浄水場跡地にある水道の塔(配水塔)

雪国のため、外壁を施したノスタルジックかつ独特なデザインで有形文化財に登録された。

 

燕市と言えば、金属加工の町である。

江戸時代、風水害に悩まされる農民の副業として、藩は和釘の製造を奨励した。

釘の需要が減るにつれ、業態を転換し現在に至る。

主な企業としては避難器具のオリロー、日本最後のキセル職人である飯塚金属、鎚起銅器(1枚の銅板を金づちでたたいて成型したもの、やかんなどが有名)の玉川堂、魔法瓶のサーモス、包丁の藤次郎などなど枚挙にいとまがない。

 

隣の三条市も同じく金属加工が主産業である

wikipedia:三条市

 

 人口は9.5万人

人口比に対する社長の割合が日本一多い自治体である。

燕市と同様和釘の生産が盛んであった。

現在でも伊勢神宮式年遷宮に使われた和釘はすべて三条市産であるそうだ。

 

有名どころの企業としては暖房器具のコロナ。

そしてキャンプ用品のスノーピークなどが挙げられる。

スノーピークの本社はキャンプ場が隣接しており、キャンプ用品をレンタルして楽しむこともできる。

 

ニッチ商品の職人たちが揃う二つの市、パートナーでありライバルとしてこれからもその関係を続けていくのだろう。