後志ぐるりと ― 岩内町マンホールカード ―

島牧村江ノ島海岸で潮風に吹かれ、車に戻る。

そろそろ良い時間なので今日はこのへんで帰るとしよう。

 

国道229号線を北上し、島牧村寿都町蘭越町と次々に海岸線を通過、そして岩内町の道の駅で一休み。

 

ここでお土産と一緒にマンホールカードを取得。

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ゆるキャラ、たら丸が船の舵を操っているところ。

 

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この船長スタイル、ユーモラスで岩内町の特徴もよく表した、良いデザインだと思う。

 

寿都町に続き弁慶にまつわる伝説が由来の刀掛岩。奇岩の多い日本海側でもかなりインパクトのある形だ。

 

 

 

カラーマンホールも道の駅近くの交差点に設置されている。

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ちょっと色褪せている?

まあ、ピカピカとは違う味わいは感じることができる。

もしかしたらこれ以外にもあるのかもしれない。

後志ぐるりと ― 江の島海岸 ―

弁慶岬を堪能し、もう少しドライブを続ける。

南へ向かっていくとまもなく島牧村

 

平地が少なく、山と海の間に漁村が点在している村だ。

 

交互に現れる岩浜と砂浜。

天気が良く、空気も澄んでいたので綺麗な海である。

 

しばらく進んで辿り着いたのは江ノ島海岸。

 

 

湘南ではなく、北海道にある江ノ島海岸。

日本の渚百選に認定されている。

 

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釣り人が思い思いの場所で竿を振っていた。

 

 

 

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賀老の滝と江ノ島海岸の写真が看板に収められている。

 

波打ち際は砂ではなく玉石になっており、そのおかげで海が透き通って見えるそうだ。

少し砂浜を歩いてみようかと思ったが、風が強くて思ったより寒いのと釣り人さんたちの邪魔なのではないかと思ったりして、体を伸ばすだけにとどめた。

 

もうちょっとだけ寄り道して帰ろう。

後志ぐるりと ― 弁慶岬灯台カード ―

寿都町の市街地を通り抜け、北へ向かって走る。

しばらく進むと右手に駐車場。

 

弁慶岬の駐車場である。

 

 

車を停めると駐車場のすぐ傍に銅像が建っている。

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平安時代末期~鎌倉時代にかけて活躍した武蔵坊弁慶銅像だ。 

 

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北海道には源義経伝説が数多く残るが、ここもその一つ。

武蔵坊弁慶義経に味方する援軍をこの地で待ちわびていたというストーリーが伝わっている。

 

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常陸海尊は弁慶の舎弟のような人だったらしい。

雷電とは岩内方面の地名である。

 

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春先の荒涼とした風景に道立自然公園の一部であることを示す立て札。

 

 

遊歩道を歩いて灯台に向かってみよう。

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明治20年代に建設された灯台の一つ。

地形的に、ここは航行に重要な灯台であったのは一目瞭然だ。

 

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北海道に多い赤白の灯台

扉の手前まで進入可能である。

 

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2枚目の灯台カードを取得。

灯台カード、浸透具合はどの程度だろう?

後志ぐるりと ― みなとまーれ寿都たことしらすのホットサンド ―

寿都鉄道の駅跡を巡り、時刻は午後2時近い。

しばらく空腹を我慢してきたが、ちょうど町の中心部に近いところだし、ご飯を食べよう。

 

とりあえず道の駅へ行ってみる。

 

 

売店と食事は同じレジ。

メニューを見せてもらうも、ご飯はなくなりましたとの表示。

天気も良く、お客さんが多かったらしい。

良いことである。

 

まだ提供できるメニューの中で「たことしらすのホットサンド」を注文。

他にお客さんもいないのですぐできるのかと思いきや、わりと時間がかかる。

1つ1つ作っているらしい。

 

ホットサンドというものは初めて食べるかもしれない。

椅子に座って水を飲みながら待っていると店員さんが持ってきてくれた。

 

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思っていたよりパンは熱く、厚く、歯ごたえがある。

そしてタコもボリュームがあって歯ごたえがある。

タコ食ってるな~という満足感。

しらすはこの道の駅の名物、生炊しらす佃煮。

甘めの醤油がこの料理全体のベースとなる味だ。

 

他のメニューも寿都の旬を活かした料理で、季節によって変わるものが多いらしい。

また別な時期に来てみよう。

 

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目の前は漁港。

その先には対岸の山地が広がる。

 

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道の駅の裏手駐車場には漁に使われたという船が展示されている。

 

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保津船というらしい。

寿都も他の日本海側の町同様、ニシン漁で栄えた港である。

小樽は近年、ニシン漁の水揚げが増えているが寿都はどうだろう。

 

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肝心なところが消えてしまっているが、かつての寿都町の栄華を記した文。

 

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さびた錨たち。

にしん街道という名に相応しい、町の歴史に近づけるオブジェだと思う。

後志ぐるりと ― 寿都鉄道寿都駅跡 ―

樽岸駅から海沿いに国道を進んでいくとやがて寿都町の中心部に到着。

国道を左折して高台に上っていくと、寿都町役場が出迎えてくれる。

 

この地こそ寿都鉄道の終着駅、寿都駅跡なのだ。

 

 

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「すっつ」ではなく「すつ」という表記。

寿の字も旧字体である。

 

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役場の前には公衆電話。

 

寿都駅の裏手は寿都鉱山であった。

明治・大正時代より採掘開始。

太平洋戦争時に銅、鉛、亜鉛などの採掘で活況を呈したが、昭和30年代より鉱量減少。

閉山に至る。

 

駅跡には当時の遺構は全くないが、広い敷地と背後の山々が辛うじて鉄道と鉱山という運命を共にした双子の存在を嗅ぎ取ることができるかもしれない。

 

寿都町史より

旧駅舎と構内。

 

使われていた車両はアメリカのボールドウィン社製だった。