世界ふれあい街歩き ― 慶州 ―

今日は2007年11月20日放送の世界ふれあい街歩きで紹介された韓国の慶州について調べてみた。

wikipedia:慶州

 

 

古代に新羅王国の首都(当時の地名は金城)として発展し、今なお古代都市の姿を残している。後の高麗時代の城壁や瓦屋根の建物に狭い路地などが犇き合い、屋根のない博物館とも言われる。

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新羅時代には仏教文化も繁栄した。

西暦700年代に建てられた石窟庵や仏国寺はその後の儒教隆盛の折に廃寺・荒廃していたが1900年代に入って復元・発掘が行われ現在は世界遺産となった。

 

また、市の北西部には石仏群や東洋最古の天文台とも言われる瞻星台に古墳群などが新たに世界遺産として登録された。

特に天馬塚と呼ばれる古墳は内部を見学することも可能。

 

さらに、北にある良洞村が高麗・李氏朝鮮時代の支配階級であった両班の生活していた様子が現存するということで、こちらも世界遺産に登録された。

 

当時の伝統的な家屋が今も150戸ほど残り、実際に生活しているそうだ。

 

 

鹿追町 ― ジオパークの鹿 ―

今日は鹿追町について調べてみた。

wikipedia:鹿追町

 

人口は5千人強。

北部は大雪山国立公園内に位置する。市街地周辺は十勝平野の北辺。

町域は全てとかち鹿追ジオパークに認定されている。

 

鹿追という地名はアイヌ語でクテクウシ(鹿を捕る柵がある所)という地名の和訳が由来になっている。

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カントリーサインも東大雪をバックに森の中の鹿が描かれている。

 

かつては北海道拓殖鉄道新得駅から上士幌駅まで通っていた。

この鉄道は鉄道の開通による沿線人口の増加を狙って発足したが、石北本線の開通などによって意義が薄れ、1968年廃線となった。

 

鹿追町には8つの駅があった。

現在中心駅であった鹿追駅跡にはSLが静態保存されている。

町の中心部に現在は道の駅が設けられ、朝ドラで有名になった神田日勝の美術館なども建てられている。

 

また、瓜幕地区にはもう一つ道の駅が設置され、小さなコースながら乗馬体験もできる。

 

町の北部にある然別湖は山々に囲まれた堰止湖で遊覧船や氷上イグルーなどが名物。

温泉旅館もある。さらに然別湖とは違う水系だが然別峡にあるかんの温泉も効能の高さで有名だ。

 

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 弘前市 ―

今日は2014年9月23日の空から日本を見てみようで紹介された弘前市周辺について調べてみた。

wikipedia:弘前市

 

人口は約17万人。

江戸時代までは弘前藩の城下町、明治時代以後は陸軍第八師団が駐屯する軍都として栄えた。

現在はりんごの生産量日本一を誇っている。

 

町のシンボル、弘前城天守や櫓が現存し、現在は公園として整備されている。

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公園は桜が有名。

ゴールデンウィーク前後は見物客で大賑わいだ。

 

観光地も弘前城の周囲に多い。

日本商工会議所初代会頭である藤田謙一が郷里である弘前に別邸を構えた際に造らせた日本庭園である藤田記念庭園。青森銀行記念館や旧弘前市立図書館など洋風建築の文化財がいくつもある。

 

弘前のもう一つの名物といえばねぷた

武者絵の描かれた巨大な山車を引いて市内を練り歩く、県内最大のねぷた祭りである。

ねぷたが展示されている津軽藩ねぷた村では津軽三味線の生演奏や民芸品の製作体験もできる。

 

市の北西部には津軽富士とも呼ばれる岩木山が聳え立つ。

 

次は平川市

wikipedia:平川市

 

人口は約3万人。

尾上町、平賀町、碇ヶ関村が合併して発足。旧碇ヶ関村は大鰐町を経由しないと他の地区に行くことはできない、飛び地合併である。

 

盛美園や碇ヶ関関所などが名所として知られる。

 

続いて黒石市

wikipedia:黒石市

 

人口は3万2千人。

東部は八甲田山へと繋がる山地である。

紅葉山や津軽こけし館などが名所として知られる。日本で初めて多目的ダムとして建設が始まった沖浦ダムがあった。(現在は浅瀬石川ダムダム湖である虹の湖に沈んでいる)

 

最後は田舎館村

wikipedia:田舎館村

 

人口は約7500人。

弥生時代の水田跡が数多く発見され、北方稲作文化発祥の地とも言われる。

 

また、田んぼアートの発祥の地としても知られ、毎年2つの会場で巨大な絵を作り出している。

 

 

地球絶景紀行 ― ストックホルム ―

今日は2012年1月20日の地球絶景紀行で紹介されたスウェーデンの首都ストックホルムについて調べてみた。

wikipedia:スウェーデン

 

北欧の都市。町の始まりはスタツホルメンという小島に砦が建てられたことから。

その後都市圏は近隣の小島に広がり、現在のストックホルムが成立した。

中世にはスカンジナビア諸都市の交易の中心として栄える。

18世紀以後は戦火を免れ、スタツホルメン島にはガムラスタン(旧市街)と呼ばれる歴史的建築が並ぶ地区が残っている。

 

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ガムラスタン地区を代表する歴史的建造物としては宮殿、大聖堂などの教会建築をはじめとする。

宮殿は最も古い部分が1760年に完成。現在は公邸として利用されている。

また、スウェーデン出身の偉人といえば、真っ先に名が挙がるであろうノーベルの博物館もガムラスタンに建てられた。

 

すぐ北側のヘランズホルメン島には国会議事堂が建てられている。

 

さらに周囲の島々には市庁舎、王立歌劇場、近代美術館などストックホルムを代表する建物が点在している。

 

やや東にあるユールゴーデンには、中世の沈没した戦艦をサルベージし復元されたヴァーサ号博物館、長靴下ピッピの作者リンドグレーンの世界を表現したテーマパークであるユニバッケン、北方民族博物館などスウェーデンの歴史や文化を学べるスポットが多い。

 

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ストックホルムの西には離宮であるドロットニングホルム宮殿

住居部分以外は一般公開されている。

 

番組では最後にスウェーデンの北の果て、アビスコ国立公園へ飛んでオーロラを鑑賞していた。

 

 

世界ふれあい街歩き ― ケベック ―

今日は2007年11月3日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたカナダのケベックについて調べてみた。

wikipedia:ケベック・シティー

 

 当初はフランスが開拓、その後イギリスとの競争の結果1759年イギリスの統治下となる。その後アメリカの独立戦争、イギリス系カナダとフランス系カナダの分裂などを経て1867年カナダ連邦が成立。

 

ケベック州は今なおフランス語を公用語としている。

英仏バイリンガルが多いカナダにあって、ケベックは英語の使用率が低くカナダからの分離独立を希望する声もあるようだ。

 

街並みはノートルダム大聖堂、国会議事堂など歴史的建築物が多い。

町のシンボルと言えるのが高級ホテルシャトー・フロンナック。

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1893年開業。

鉄道会社による旅行奨励の一環として建てられた。

 

かつての戦争の名残も今では観光名所となっている。

英仏戦争時の見張り台や砲台などが残る戦場公園、アメリカからの侵略を防ぐために造られ、今も駐屯地であるケベック要塞。

 

町の北部には落差84m、ナイアガラの滝よりも約30m高いモンモランシーの滝がある。