地球絶景紀行 ― イースター島 ―

今日は2012年6月8日放送の地球絶景紀行で紹介されたチリのイースター島について調べてみた。

wikipedia:イースター島

 

正式名称はスペイン語で復活祭を意味するパスクア島。

日本では英称のイースター島と呼ばれることが多い。

 

最も近い有人島まで直線距離で約2000kmという絶海の孤島である。

海底火山によってできたこの島に最初にやって来たのはポリネシアの人々。

住民たちはロンゴロンゴと呼ばれる文字を使い、加工のしやすい凝灰岩と豊富な森林資源を利用して石の祭壇や巨大な石像モアイを作っていた。

 

f:id:kamonji224:20200322123228j:plain

 

部族抗争によって倒されるモアイが増え、さらに18世紀には環境や信仰の変化からかモアイの製造自体が止まってしまった。

近年日本などの支援によって倒されていたモアイを再び起き上がらせる活動が増え、かつての様子を取り戻している。

 

現在は島に唯一ある村ハンガロアが観光の起点。

宿泊施設などはここに揃っている。

 

モアイを製造していた場所と考えられているのがラノ・ララク

噴火口に位置し、製作途中や運搬途中で放棄されたと思われるモアイ象も見かけられる。

 

モアイ像は島に点在している。

帽子を被った珍しいモアイがいるのはアフ・トンガリキ。

アナケナビーチは白砂が美しく島でも数少ない海水浴場。

ここの近くにあるモアイ像は抗争で倒されたのち砂に埋もれていたことが、結果的に風化から逃れることとなり、最も保存状態の良いモアイ像と言われる。

 

アフ・アキビにあるモアイ像は海の方角を向いている珍しいモアイ像が並んでいる。

天文学的な理由からと考えられているが、詳細はまだ研究途中のようだ。

 

モアイが被っている帽子(プカオ)を切り出していたのはプナ・パウ。

帽子ではなく束ねられた髪の毛であるという説もある。

18世紀に欧米人がはじめてこの地を訪れた時の島民は髪を頭の上で束ねていたらしい。

巨大な石をどうやってモアイの上に載せていたのかも未だ謎が残っている。

 

モアイ製作が衰退した後、島では鳥人信仰が始まる。

オロンゴでは部族間によるその年最初の渡り鳥の卵を捕りに行く競争のような儀式が行われていた。

 

 

世界ふれあい街歩き ― スプリト ―

今日は2008年6月12日放送の世界ふれあい街歩きで紹介されたクロアチアスプリトについて調べてみた。

wikipedia:スプリト

 

 

ローマ皇帝ディアクレティアヌスが皇帝引退後、故郷に近いこの地に宮殿を建てたことが町の始まり。

後年、西ローマ帝国の滅亡後、宮殿は荒廃していたが要塞の機能は失われていなかった。近隣の住民はこの地に移り住み城壁をそのまま都市壁とした。

現在も宮殿の名残と市街地が入り混じった独特な景観を保ち続けており、ユーゴ紛争後観光地として人気を博している。

 

観光のメインはやはり宮殿跡。

実際にディオクレティアヌス帝が住んだのは6年ほどだったようだ。

現在は宮殿の内部に商店街、広場などが造られ町の中心部になっている。

 

宮殿には4つの門があり、その中の一つである銀の門の近くには中庭ペリスティル、ディオクレティアヌスの霊廟であった聖ドミヌス大聖堂と階段で登ることができる鐘楼、ローマ神話最高神であるジュピターの神殿

 

などがある。

聖ドミヌス大聖堂とジュピター神殿は元々は非キリスト教の施設であったが、後にキリスト教の教会として利用されることとなった。

 

 

城壁の外側には海岸線の遊歩道リヴァや町を一望できるマルヤンの丘など景色を楽しむことができる場所もある。

 

 

 

 

 

 

北海道の市町村

札幌市 サッポロシ
函館市 ハコダテシ
小樽市 オタルシ
旭川市 アサヒカワシ
室蘭市 ムロランシ
釧路市 クシロシ
帯広市 オビヒロシ
北見市 キタミシ
夕張市 ユウバリシ
岩見沢市 イワミザワシ
網走市 アバシリシ
留萌市 ルモイシ
苫小牧市 トマコマイシ
稚内市 ワッカナイシ
美唄市 ビバイシ
芦別市 アシベツシ
江別市 エベツシ
赤平市 アカビラシ
紋別市 モンベツシ
士別市 シベツシ
名寄市 ナヨロシ
三笠市 ミカサシ
根室市 ネムロシ
千歳市 チトセシ
滝川市 タキカワシ
砂川市 スナガワシ
歌志内市 ウタシナイシ
深川市 フカガワシ
富良野市 フラノシ
登別市 ノボリベツシ
恵庭市 エニワシ
伊達市 ダテシ
北広島市 キタヒロシマシ
石狩市 イシカリシ
北斗市 ホクトシ
当別町 トウベツチョウ
新篠津村 シンシノツムラ
松前町 マツマエチョウ
福島町 フクシマチョウ
知内町 シリウチチョウ
木古内町 キコナイチョウ
七飯町 ナナエチョウ
鹿部町 シカベチョウ
森町 モリマチ
八雲町 ヤクモチョウ
長万部 オシャマンベチョウ
江差町 エサシチョウ
上ノ国町 カミノクニチョウ
厚沢部町 アッサブチョウ
乙部町 オトベチョウ
奥尻町 オクシリチョウ
今金町 イマカネチョウ
せたな町 セタナチョウ
島牧村 シママキムラ
寿都町 スッツチョウ
黒松内町 クロマツナイチョウ
蘭越町 ランコシチョウ
ニセコ町 ニセコチョウ
真狩村 マッカリムラ
留寿都村 ルスツムラ
喜茂別町 キモベツチョウ
京極町 キョウゴクチョウ
倶知安町 クッチャンチョウ
共和町 キョウワチョウ
岩内町 イワナイチョウ
泊村 トマリムラ
神恵内村 カモエナイムラ
積丹町 シャコタンチョウ
古平町 フルビラチョウ
仁木町 ニキチョウ
余市町 ヨイチチョウ
赤井川村 アカイガワムラ
南幌町 ナンポロチョウ
奈井江町 ナイエチョウ
上砂川町 カミスナガワチョウ
由仁町 ユニチョウ
長沼町 ナガヌマチョウ
栗山町 クリヤマチョウ
月形町 ツキガタチョウ
浦臼町 ウラウスチョウ
新十津川町 シントツカワチョウ
妹背牛町 モセウシチョウ
秩父別町 チップベツチョウ
雨竜町 ウリュウチョウ
北竜町 ホクリュウチョウ
沼田町 ヌマタチョウ
鷹栖町 タカスチョウ
東神楽町 ヒガシカグラチョウ
当麻町 トウマチョウ
比布町 ピップチョウ
愛別町 アイベツチョウ
上川町 カミカワチョウ
東川町 ヒガシカワチョウ
美瑛町 ビエイチョウ
上富良野町 カミフラノチョウ
中富良野町 ナカフラノチョウ
南富良野町 ミナミフラノチョウ
占冠村 シムカップムラ
和寒町 ワッサムチョウ
剣淵町 ケンブチチョウ
下川町 シモカワチョウ
美深町 ビフカチョウ
音威子府村 オトイネップムラ
中川町 ナカガワチョウ
幌加内町 ホロカナイチョウ
増毛町 マシケチョウ
小平町 オビラチョウ
苫前町 トママエチョウ
羽幌町 ハボロチョウ
初山別村 ショサンベツムラ
遠別町 エンベツチョウ
天塩町 テシオチョウ
猿払村 サルフツムラ
浜頓別町 ハマトンベツチョウ
中頓別町 ナカトンベツチョウ
枝幸町 エサシチョウ
豊富町 トヨトミチョウ
礼文町 レブンチョウ
利尻町 リシリチョウ
利尻富士町 リシリフジチョウ
幌延 ホロノベチョウ
美幌町 ビホロチョウ
津別町 ツベツチョウ
斜里町 シャリチョウ
清里 キヨサトチョウ
小清水町 コシミズチョウ
訓子府町 クンネップチョウ
置戸町 オケトチョウ
佐呂間町 サロマチョウ
遠軽町 エンガルチョウ
湧別町 ユウベツチョウ
滝上町 タキノウエチョウ
興部町 オコッペチョウ
西興部村 ニシオコッペムラ
雄武町 オウムチョウ
大空町 オオゾラチョウ
豊浦町 トヨウラチョウ
壮瞥町 ソウベツチョウ
白老町 シラオイチョウ
厚真町 アツマチョウ
洞爺湖町 トウヤコチョウ
安平町 アビラチョウ
むかわ町 ムカワチョウ
日高町 ヒダカチョウ
平取町 ビラトリチョウ
新冠町 ニイカップチョウ
浦河町 ウラカワチョウ
様似町 サマニチョウ
えりも町 エリモチョウ
新ひだか町 シンヒダカチョウ
音更町 オトフケチョウ
士幌町 シホロチョウ
上士幌町 カミシホロチョウ
鹿追町 シカオイチョウ
新得町 シントクチョウ
清水町 シミズチョウ
芽室町 メムロチョウ
中札内村 ナカサツナイムラ
更別村 サラベツムラ
大樹町 タイキチョウ
広尾町 ヒロオチョウ
幕別町 マクベツチョウ
池田町 イケダチョウ
豊頃町 トヨコロチョウ
本別町 ホンベツチョウ
足寄町 アショロチョウ
陸別町 リクベツチョウ
浦幌町 ウラホロチョウ
釧路町 クシロチョウ
厚岸町 アッケシチョウ
浜中町 ハマナカチョウ
標茶町 シベチャチョウ
弟子屈町 テシカガチョウ
鶴居村 ツルイムラ
白糠町 シラヌカチョウ
別海町 ベツカイチョウ
中標津町 ナカシベツチョウ
標津町 シベツチョウ
羅臼町 ラウスチョウ

 

合併した市町村

合併期日 新市町村名 合併関係市町村名 合併形態
H16.12.1 函館市 函館市・戸井町・恵山町椴法華村南茅部町 編入
H17.4.1 森町 森町・砂原町 新設
H17.9.1 せたな町 大成町・瀬棚町・北檜山町 新設
H17.9.1 士別市 士別市・朝日町 新設
H17.10.1 遠軽町 生田原町遠軽町丸瀬布町白滝村 新設
H17.10.1 石狩市 石狩市厚田村浜益村 編入
H17.10.1 八雲町 八雲町・熊石町 新設
H17.10.11 釧路市 釧路市阿寒町音別町 新設
H18.2.1 北斗市 上磯町・大野町 新設
H18.2.6 幕別町 幕別町忠類村 編入
H18.3.1 伊達市 伊達市大滝村 編入
H18.3.1 日高町 日高町門別町 新設
H18.3.5 北見市 北見市端野町常呂町留辺蘂町 新設
H18.3.20 枝幸町 枝幸町歌登町 新設
H18.3.27 岩見沢 岩見沢市・北村栗沢町 編入
H18.3.27 名寄市 名寄市風連町 新設
H18.3.27 安平町 早来町・追分町 新設
H18.3.27 むかわ町 鵡川町穂別町 新設
H18.3.27 洞爺湖町 虻田町洞爺村 新設
H18.3.31 大空町 東藻琴村女満別町 新設
H18.3.31 新ひだか町 静内町三石町 新設
H21.10.5 湧別町 上湧別町湧別町 新設

 

新篠津村 ― 稲穂と河跡湖 ―

今日は新篠津村について調べてみた。

wikipedia:新篠津村

 

 

人口は約3千人。

石狩川に面し、村域は全て平野部に属する。

基幹産業は農業で、面積の大半が水田となっている。

 

国道、鉄道は共に通っていない。

 

カントリーサインはデザインの変更があった。

f:id:kamonji224:20200320110008j:plain

右側が旧デザイン。

米俵を担ぐ力強い男性と稲穂。

 

左側が新デザイン。

稲穂は変わらず描かれているが、しのつ公園の展望台とたっぷ大橋が追加された。

 

しのつ公園はしのつ湖の畔に整備された公園。

温泉、道の駅、キャンプ場などが併設され新篠津村一の観光スポットになっている。

冬は氷の上でワカサギ釣りなども行われている。

 

しのつ湖はかつて石狩川の蛇行部であったが、下達布(しもたっぷ)捷水路の建設により、石狩川から切り離され三日月湖河跡湖)となった。

下達布のたっぷとはアイヌ語の曲がりくねったところという意味を成す言葉が由来である。

この工事は江別の巴農場捷水路、岩見沢の砂浜捷水路などと併せて行われ、最新鋭の浚渫船などが工事に使用された。

 

大雨の際には蛇行部分から氾濫がおきるため、捷水路の建設は石狩川の治水のためになくてはならないものであった。

線路や道路が流されることもなくなり、湿地帯は農業に適した土地に改良され現在に至っている。

 

また村の西側には灌漑排水事業として篠津中央篠津運河用水が掘削された。

石狩川頭首工から分岐させた水を新篠津・江別まで運び農業用水として使用。

一方雨などで必要以上に田畑に溜まった水を運河を通して排水するという二つの目的を持つ。この辺りは軟弱で泥炭地であり、大雨の際には石狩川から逆流が発生して洪水になることが多く、築堤の嵩上げと水門の設置が行われ洪水を防いでいる。

 

もう一つカントリーサインに描かれているたっぷ大橋は2004年に供用開始となった石狩川に架かる橋。

たっぷ公園の展望台から見える農村風景と石狩川の景色に巨大な斜張橋であるたっぷ大橋が変化を与えている。

 

 

 

空から日本を見てみよう ― 松山市 ―

今日は2015年2月17日・24日放送の空から日本を見てみようで紹介された愛媛県松山市について調べてみた。

wikipedia:松山市

 

人口は50万人超。四国では最大の人口を持つ。

西は瀬戸内海に面し、他3方を山地に囲まれている。

みかんの栽培が有名だが、帝人を代表する化学繊維産業など工業も盛ん。

 

 

関ケ原の戦い後、加藤嘉明が建てた松山城を中心とした城下町として発展してきた。

幕末には松平氏の居城となる。現存12天守の一つであり、その中では唯一親藩による普請であったため葵の御紋が刻まれている。

 

f:id:kamonji224:20200316101049j:plain

 周囲には大街道、銀天街など商店街が並んでいる。

また県庁や市役所など行政機関も集中し、城を囲んで中心部が形成されている。

 

城の北東には日本屈指の歴史を誇る道後温泉が位置する。

一説には3千年の歴史を持つとも言われ、神話にも記述が見られる。

 

f:id:kamonji224:20200316103947j:plain地熱由来の非火山型の温泉である。

温泉街のシンボルである道後温泉本館は公衆浴場であり、地元の人々もよく訪れる。

 

松山城建築の前にこの辺りの中心的な城であった湯築城跡が現在は道後公園として、城跡の一部復元や桜の名所などとして整備された。

 

松山市にはゆかりの文化人が多い。

正岡子規夏目漱石種田山頭火など彼らに関する文化施設も数多く設けられている。

また司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の舞台でもあり、ミュージアムも造られた。

 

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

 

 

夏目漱石の小説「坊ちゃん」に登場する軽便鉄道時代の伊予鉄道が使用していた蒸気機関車を復元し、坊ちゃん列車として運行している。

 

 

坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

 

 

史跡も多く、石手寺大宝寺、伊佐爾波神社などの寺社仏閣や江戸時代の豪農であった豊島家住宅、松山藩主の子孫が大正時代に建てたフランス風洋館の晩翠荘などが名高い。

 

平成の合併により旧中島町忽那諸島も市域となった。

瀬戸内海の主要航路に面しておりかつては海運でも栄えていた。

現在は柑橘類などの栽培が主産業。

 

続いて東温市

wikipedia:東温市

 

人口は約3万4千人。

扇状地に位置し、農業が盛ん。

中でも裸麦は全国一の生産量を誇る。山間部の棚田も見応えがある。

 

国の文化財である三島神社、四国に関わる演目の上演を行っている坊ちゃん劇場などが名所である。

 

最後は松前

wikipedia:松前町(愛媛県)

 

人口は3万人弱。

松山市との境に重信川が流れ、平野の南端に位置しており県内で唯一山の無い自治体である。

松山市ベッドタウンであり、東レの工場も立地していることから化学工業が盛ん。

戦国時代には河野氏が拠点とし、豊臣政権では加藤嘉明松前城の城主となった。松山城築城の際、松前町から人々も移住したため松山市内にも松前町という地名が残る。