道北をいっぱい巡った。 ― 風連駅 ―

目次

 

 

 1.道の駅もち米の里なよろ

瑞穂駅を出て国道40号線に戻る。

少し北に進むと方向を北東に変え、名寄市に入る。

次の目的地は道の駅「もち米のさとなよろ」

 

この辺りは稲作の北限地。

特にもち米が有名とあって、この道の駅の名物も様々な味の大福である。

今回は大福はパスしてマンホールカードをもらう。

 

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名寄市と合併する前の風連町ご当地キャラ?風夢君が描かれている、

 

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郷土芸能に挑戦中というのはなかなか珍しいかも。

なんとなく風を起こしているようにも見えるが、気のせいかな。

 

さて、この時点で時刻は午後5時に近い。

名寄駅の北の大地の入場券の販売時間のタイムリミットが近づいている。

正直今回は無理かなと思っていたが、ギリギリ間に合いそうなので途中の風連駅と東風連駅はいったん飛ばし、この風連のマンホールも実物はパス。

雨が降り始め、徐々に勢いが強くなる中、名寄駅を目指す。

残り数百メートルで信号が増える。

焦りながらどうにか到着。

 

ギリギリか!

 

間に合わず

 

みどりの窓口は閉まっていた。

駅のそばの施設で別なデザインのマンホールカードを配布しているが、こちらも終了。

 

時間とガソリンを無駄に使い、名寄駅の写真を1枚だけ撮ってすごすごと風連駅に戻る。

南比布駅さえ迷わずに着いていれば・・

絵本の館でのんびりしすぎたか。。

朝、もう5分早く出ていれば・・・・

 

まあ悔やんでも仕方がない。

 

2.風連駅

風連駅まで戻ってきた。

幸い雨は小降りに。

 


風連町の中心駅である。

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三角屋根のやや横長な造りはわりと多いタイプの駅かと思うが、戸の上部の半円部分はちょっと変わったデザインのような。

 

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手前に見えるのは自由通路。その後ろにあるのがかなりくたびれた様子の跨線橋

ホームは千鳥式で、奥には青い屋根の農業倉庫が並んでいる。

 

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1番ホームから対面を臨む。かつてはストックヤードだったそうだが、現在は草むらとなっていた。

 

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駅前にも農業倉庫が並ぶ。

これだけ駅前に倉庫があるのだから、列車で運ぶことができれば。。

 

3.風連駅の近隣の歴史

1897年風連別地区を上名寄村村域とする。

1900年最初の入植者が当時の終着駅であった士別駅から天塩川を船で下って入地。

1903年一般駅として開業。

風連町の開拓が本格化したのが1900年、多寄村として独立し風連市街に村役場ができたのが1909年。わずか10年で人口は6千人に達していたようなので、駅の開業は大きな出来事だったと思われる。

村役場の設置は現在の多寄地区との争いとなったが、豊かな農地の多い下多寄地区が風連を推したため風連地区に役場を置くことと決定。

風連駅からは農産物や木材の発送が多かった。

 

1938年現在の多寄地区が分村。多寄地区が多寄村を名乗り、旧多寄村役場のあった風連地区は風連町と改称。なお下多寄地区は風連町域となるというややこしい事態に。

農業倉庫の数からかなり大規模な駅だったと思われるが、1982年に貨物廃止。

2003年に完全無人化となった。

 

 1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

駅横に貨物引き込み線。

駅裏のストックヤードはすでに使われていない模様。

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道北をいっぱい巡った。 ― 瑞穂駅 ―

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1.瑞穂駅

多寄駅から再び国道40号線を北上。

名寄市との市境付近の瑞穂駅に到着。

 

 

グーグルマップの通り、田園に囲まれた駅だ。

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瑞穂駅の待合室。簡易な造りかつ、赤錆で変色している様子。

 

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ホームも板張りの簡易な造り。

 

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旭川方面。駅横を通る道路は白線のない狭めの片側2車線の道路。

踏切を渡るときはちょっと注意。

 

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これは稲かな。

 

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こっちは野菜?こんな風景が広がる駅。

 

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シンプルな駅だが、花壇には花が溢れていた。

 

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どなたかが丹精込めて作られた花壇。

夏のひと時、この人気のない駅で時を過ごしてみるのも悪くないだろう。

 

2.瑞穂駅の歴史

瑞穂駅は1956年仮乗降場として開業。

1978年に地元の人々により待合室と自転車置場が設置される。

現在の待合室はこの時のもののようだ。

1987年国鉄からJRへの民営化時にようやく駅に昇格し、現在に至る。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

 いまとあまり変わりないかな。

 

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道北をいっぱい巡った。 ― 多寄駅 ―

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1.多寄駅

下士別駅を出て再び国道40号線を北上。

少し大きな集落に入ったところで左折、次の目的地多寄駅だ。

 

 

無人の小さな待合室だが、手すりや黄色い点字ブロックなどが設置されている。需要がある、あるいはあったのだろうか。この規模の駅では珍しいのでは。 

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下士別駅の写真と思っていたが、記憶違いで多寄駅で出くわした列車。

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ホームの黄色い点字ブロックで間違いに気づいた。 

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1両編成の普通列車

下士別駅は1日4.5往復だったが、多寄駅は約2倍の8.5往復。快速も1本停まる。

まあこの日はほぼずっと駅巡りしてたので1度くらいはどこかの駅で出会えても不思議ではないか。

 

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周囲は畑が広がっている。

水田ではなくて畑作が多いように思える。

 

駅前には農業倉庫。

 

 

2.多寄駅と近隣の歴史

多寄もかつては多寄村という一つの自治体を形成していた。

まずは1900年~1901年にかけて和人の開墾が始まる。

1909年からは現在の多寄と北隣の風連地区が一つの多寄村という自治体であった。

しかし二つの市街地があり、諍いもあったらしい。

そして1938年まず2月に多寄村が風連村に改称。

そのわずか2か月後現在の多寄地区が分村し、第二次多寄村が誕生。

そして1956年に温根別村、上士別村と共に士別市として合併し現在に至る。

 

駅近くがやや賑やかなのはその名残。

1903年に士別駅ー名寄駅間開通に伴い開業。

天塩川沿岸の原野開発を目的とし、その拠点とすべく開業されたようだ。

目論見通り、開駅と同時に駅前には各種商店が並ぶようになった。

昭和初期には近隣にレンガ工場などもあった。

1982年に貨物廃止、1986年に無人化。

1988年駅舎改築。それまでは大きな木造駅舎だった。その約10年後の1999年旭川方面に約20m移動となる。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

現在は踏切があって貫通している道路が駅で止まっている。

この道路のために駅舎を移したわけだ。曳屋によって移築されたらしい。

上の写真の時点では改築前のおそらく大きな駅舎。

 また、2面2線のホームと貨物用引き込み線もあったが、現在は単線となっている。

 

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道北をいっぱい巡った。 ― 下士別駅 ―

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1.下士別駅

つくも水郷公園から久しぶりに国道40号線までもどり北上。

天塩川を渡る。

この先幾度もついたり離れたり渡ったりを繰り返すことになる、北海道第二の長さを持つ河川である。

 

次の目的地は下士別駅

 

 

士別市の市街地は天塩川以南で、北側は農村地帯が広がっている。

下士別駅も畑に囲まれた場所に位置している。

 

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「しもしべつ」と平仮名で可愛らしく書かれた木の看板。

この写真だけを見ると、ここが駅又は待合室とはわからないかも。

扉も住居の玄関みたい。

 

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しっかりしたスロープ付きのホーム。

 

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ホームもコンクリート造。

 

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稚内方面には踏切。

枕木にバツ印が書かれているのはなぜでしょう。

 

 

2.下士別駅と近隣の歴史

下士別地区は屯田兵の入植と同時に開拓者が入地。地味が良く希望者が多かったようだ。当時の政策としては、厳しい土地を政府公認の屯田兵へ、肥沃な土地を独立独歩の民間入植者にという分け方もあったらしい。

下士別駅は1955年仮乗降場として開業。

1959年に駅に昇格。

仮乗降場出身にしてはしっかりとしたホームと待合室を持っている。

 

待合室は一度改装されているらしい。

 

この駅も利用者が少なく、2021年3月に廃止予定。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真。

 

今とそれほど変わらない風景のようだ。

 

ちなみに下士別とは士別市街地に対しての地名ではなく、天塩川を上っていくと中士別、上士別という地名がある。

天塩川の上流部、下流部という意味だ。

かつては上士別村という自治体も存在したが1954年に当時の士別町などと合併し、士別市を形成することとなった。

今でも上士別は少し大きい集落を持ち、郵便局や小学校・中学校も維持している。

 

下士別にも簡易郵便局は健在なのだが、古くから農耕地であったこと、士別市街まであまり距離がないことから住宅や商店が密集することはなく、農家が点在するような地区であったのだろう。そのため駅の需要もあまりなかったのではないだろうか。

 

 

 

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道北をいっぱい巡った。 ― つくも水郷公園 ―

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1.つくも水郷公園

士別駅から宗谷本線をいったん離れ、北西に向かう。

次の目的地はつくも水郷公園

 

 

天塩川の蛇行部分を治水対策のため切り替えを行い、旧河川部分を整備して誕生したのがつくも水郷公園。

 

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恵水天塩川 

でいいのかな?

 

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川の名残だろうか。ボートにも乗れるらしい。

 

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天塩川まつりの由来案内板。

ずいぶんきれい。

 

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その市長である木村伊三郎氏の銅像

 

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写真が変なところで分かれてしまったが、まぎれもなく木村伊三郎さんの銅像

市立博物館にあった佐々木良五郎氏の次の市長である。

最初の写真の石碑に名のある國井英吉氏は木村氏の次の市長。

 

2.D51397

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公園にはSLも静態保存されている。

D51397機。2016年市民を中心とする約90名で塗装を行ったそう。

その前はかなりひどい状態だったらしい。できれば屋根もつけてあげられるとさらにいいのだろうが。

 

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塗装から4年経ったがまだまだツヤツヤ。

 

 

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空へ向かって一直線に伸びる信号機。

 

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SL型のかわいらしい案内板。

子供にも親しみやすいかな。