炭鉱と廃線 ― 上砂川駅跡 ―

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1.上砂川駅跡

道道115号線を東へ進み続ける。

やがて少し物寂しい上砂川市街へ。

公共トイレを左に曲がると、上砂川駅舎が保存されていた。

 

 

 

白い壁と青い屋根の駅舎。

上砂川駅の他に「悲別駅」と記されている。

ドラマのロケで利用された後、そのまま残され観光地となった。

駅舎の裏手には客車と車掌車が保存されている。

 

悲別駅の観光ガイドマップ。

 

駅舎の中も見学可能。窓口と運賃表が残されている。札幌までは1420円。

 

綺麗に管理されたベンチは現役のままの姿。壁にはポスターがたくさん。

 

歌志内のガイドマップ。上砂川エリアも載っている。

 

釋事務所内は立入禁止。白衣がたくさんかけられている。

何かのイベントに使うのだろうか。暗くなると不気味かも。

 

鶉駅の時刻表。一日6往復だった。

 

駅裏手。逆光でシルエットしかわからない笑

 

車両も同じく。

 

すぐそばに山裾。道道115号がメインストリートだが、道中はずっと狭い谷の中。

平地が少なく、農業に適した土地がほとんどない。

 

ストリートビューの画像。

 

本当はこんな色。かなり腐食が進んでいる。

屋根を付けて、再度塗装できればいいのだが。

クラウドファンディングふるさと納税でも活用できないでしょうかね。

 

2.上砂川駅と近隣の歴史

1918年三井砂川炭鉱専用線が、当駅付近まで開業。

1926年函館本線の上砂川支線となり、上砂川駅が一般駅として開業。

 

北方資料デジタルライブラリーの鳥瞰図。

出版は1952年。

駅のそばには二つの選炭機。

さらに鉱業所・火力発電所・鉱業学校なるものも描かれている。

赤い線は鉄道路線。町中に車両の輸送路線が巡っている。

 

国土地理院地図の1970年代の航空写真

 

駅舎は今保存されている位置ではなく、トイレそばの広場にあった。

廃線後、新しい道路など駅付近の整備に伴って移設されたのだろう。

向きも変わってしまっているので、ファンには不評な面もあるようだが、保存してくれているだけマシだろう。

 

1968年には三井鉱山の第二専用線が敷設されている。

上の写真を見てわかる通り、駅の南東には炭鉱関連の大きな施設が幾つも並んでいた。

1979年に上記の第二専用線が廃止。

1984年には専用発着線以外の貨物・荷物が取扱廃止。

1987年三井鉱山が閉山し、専用線も廃止となって貨物列車の発着も廃止。

駅構造も棒線化された。

 

1994年砂川支線の廃止に伴い、廃駅となった。

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炭鉱と廃線 ― 東鶉駅跡 ―

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1.東鶉駅跡

道道115号線を東進、次は東鶉駅跡。

 

 

現在歯科診療所が建っている、この付近が駅跡だったようだ。

 

東側を眺める。線路跡らしき緑地。なにも利用されていない様子。

この先を少し行くと町役場のある中心部。東鶉駅は役場や小学校の最寄り駅でもあった。

 

2.東鶉駅の歴史

東鶉駅は1959年開業。気動車の導入時に駅増設が行われた。

駅舎・待合室はなく、ほぼ仮乗降場のような駅であったようだ。

現役時代の東鶉駅

そんなわけで開業当初より旅客のみ取扱の駅。

1994年廃線により廃駅となった。

 

1970年代の国土地理院地図の航空写真。

 

線路南側にスロープらしきものが見える。

北側は炭鉱住宅らしき長屋状の住宅が並ぶ。

現在は公営住宅団地となっている。

 

北方資料デジタルライブラリーで公開されている上砂川町の鳥瞰図を抜粋。

1952年出版のこの図。東鶉駅はまだできていない。

この頃は高校もあった。上砂川高校は1979年に閉校となった。

小学校も中学校も現在は町内に1校ずつ。

 

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炭鉱と廃線 ― 鶉駅跡 ―

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1.鶉駅跡

道道115号線を東へ進み、次の鶉駅跡に到着。

 

 

ここは駅舎の建物が残っている貴重な場所。

駅舎として使われなくなった後、喫茶・スナックとして利用されていそうだが、それも閉店したらしい。くすんだ朱色の屋根と白い外壁。現役時代は洒落た雰囲気の駅舎だったのだろう。

 

周囲には郵便局、鶉神社などがあって集落の中心であったことが窺える。

航空写真で見ると廃線の跡も緑地帯として明確に残っている。

 

2.鶉駅と近隣の歴史

鶉地区は1899年に貸下げより、入地開始。

2年後、開拓者の故郷であった福井県鶉村より名を取って鶉農場が発足。

そのまま地名となった。

 

現在は福井市の一部となっている。九頭竜川左岸、市北西部の辺りだ。

 

農業を主としていた上砂川の鶉地区だが、炭鉱の発展と共に炭鉱住宅に変貌していった。駅ができたのは1948年、当初は仮乗降場だった。

1953年駅に昇格。旅客・荷物取扱。

1984無人化、1994年廃線に伴い廃止となった。

 

国土地理院地図より1970年代の航空写真。

 

道道115号線沿いは個人宅・店舗が多い。

パンケウタシナイ川の南側、段丘になっている部分は長屋状の炭鉱住宅が並んでいる。

 

ストリートビューで現在の様子。線路が通っていたところは何もない更地のようだ。

 

 

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炭鉱と廃線 ― 下鶉駅跡 ―

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1.函館本線砂川支線

某月某日、この日は炭鉱と廃線を巡るドライブ。

最初にやって来たのは上砂川町

函館本線砂川支線が通っていた町だ。

 

三井鉱山の陳情によって1918年石炭搬出専用線として開業したのがスタート。

1926年に一般営業を開始し、函館本線の支線となった。

函館本線には直接乗り入れることができず、本線とは長い跨線橋で繋がれていた。

国土地理院地図より1970年代の航空写真。

 

1987年三井砂川炭鉱の閉山により石炭輸送は停止。

旅客営業を続けるも赤字は埋められず、1994年廃線となった。

 

2.下鶉駅

砂川駅を出て最初の駅は下鶉駅。

 

下鶉駅は1959年旅客のみ取扱の駅として開業。

1962年に業務委託化・1984無人化。

1994年廃線の為廃駅となった。

 

現在は中央バスの待合室が建っている。

 

駅や線路のあった場所は森の中。

 

1970年代の航空写真

 

砂川~下鶉間は道路と線路はほぼ沿うように走っている。

線路は少し低いところを通っている。下鶉駅も道路沿いにあり、下ったホームの位置に待合室があったようだ。

道路の南側には炭鉱住宅がぎっしりと並んでいる。

 

下鶉駅の画像

 

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石狩川流域ドライブ ― 湯川公園 ―

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1.湯川公園

榎本公園から野幌まで戻って来る。

最後の寄り道は湯川公園。

 

地図でわかる通り、結構大きな公園。

 

駐車場を出てすぐに遊具・広い芝生がある。



公園の北側は森。そして湿地帯。

遊具のあるエリアとは段差があって、湿地の中を木道が通っている。

 

大きな水たまり。地図を見ると屯田川の水源のようになっている。

 

2.屯田兵

木道をしばし散策した後、公園の西端に出る。

ここにあるのは屯田兵屋。

 

実際に使用していた屯田兵屋を復元したもの。

ここは湯川公園の名称の由来となった、湯川家の住居があった場所。

 

今昔マップより。1916年の地図に野幌兵村が記されている。

鉄道と並行・直角に走る基線に沿って家が建っていたようだ。

1885~6年にかけて設置された野幌兵村は、食料の雑穀の他に桑・麻を栽培していた。

1904年屯田兵制度廃止。兵村の中心部は鉄道駅方面に移っていった。

 

レンガ造りのサイロが、木に隠れるように建っている。

 

井戸も復元。水は出ていないようだ。