まず向かったのは名寄市の道の駅。
ここは旧風連町地区に位置する。
旧風連町はもち米が有名であり、この道の駅でももち米を使った大福が大人気である。
さまざまな味があり、というかありすぎて目移りするので、その場で食べる分の他にセットを家に送っとくのが得策である。
この名寄市は風連町との合併を経て、現在は人口2万8千人。上川振興局では旭川に次ぐ規模の町である。
もち米やヒマワリなどの農業、上川北部の中心都市としてそこそこの規模の商業地域、さらには自衛隊の駐屯地や官公庁の出先機関などにより経済が成り立っている。
しかし、かつて国鉄時代には現在も走る宗谷本線の他に深名線や名寄本線が通る国鉄城下町としての顔も持ち現在よりも賑わった街であった。
そんな国鉄時代に、厳しい道北の冬でも鉄道がきちんと運航できるよう活躍した除雪車が眠っている博物館があると聞き、道の駅の後で向かうことにした。
その名も北国博物館。
まずは入場料数百円を払って博物館を見学する。
名寄市の自然についての写真やジオラマの展示から始まり、開拓の歴史のパネルや資料、地元出身の力士である名寄岩についての展示など一般的な博物館の内容だったかな。小一時間程度あればゆっくり見て回れるものだった。
博物館だけでもそれなりに満足いくものだったが、やはりメインは屋外に展示してあるこちら。
どどんと黒光りするSLが鎮座している。
通常、ラッセル車というのが除雪用としてはポピュラーなのだが(以前に行った南大夕張鉄道跡に展示してあった)どうしても雪の壁ができてしまうのが難点だった。
このタイプはキマロキ編成と言って、機関車(SL)、雪の壁を崩して集めるマックレー車、集めた雪を跳ね飛ばすロータリー車、そして最後方から押す機関車の四位一体型の編成をキマロキと呼んだらしい。
今ではここにしか現物がなく、大変貴重な資料となっているそうだ。
ちなみにここはかつての名寄本線が通っていた所らしい。
天塩弥生駅があったわけではないのだが・・・駅名票のレプリカを作成したらしい。
現在は博物館だけではなく、運動場を含む大きな公園となっていて市民の憩いの場となっているようだった。
青空の下、いまにも動き出しそうではあるが二度と動くことはないはずだ。
お役目ご苦労様でした。公園に来る名寄の人々をいつまでも見守っていることだろう。