今日は乙部町について調べてみた。
道南の西部に位置する海に面した町である。
人口は4千人弱。海岸に面したわずかな平野に集中している。
道の駅も海岸に近い国道229号沿いに面している。
漁業、農業が盛んな町であるが、道の駅は小さくて直売所などはない。
そのかわりと言ってはなんだが、高台にあり眺望はなかなかである。
近くには海浜公園がある。
ここは防波堤に囲まれた海のプール。
短い夏を楽しむにはもってこいの場所である。
多少波が荒くてもプール内は静かなもの。急に深くなることもなく、バリアフリーにも配慮した老若男女が楽しめる海水浴場である。
また、駐車場からの眺めも乙なものである。
カントリーサインにもデザインされている、乙部町のシンボルである。
山と海の間が狭いこともあって、海岸線に見所が多い。
河岸段丘の館の岬や柱状節理の鮪(しび)の岬などが有名だ。
館の岬を見るには宮ノ森公園からの眺めが良いだろう。
また、幕末の函館戦争の時に官軍が上陸した地としても知られる。
長州藩士の山田顕義(後の司法大臣)に率いられた軍が最終的に五稜郭で幕府軍を破ることになる。
その後、山田は天才戦術家大村益次郎の跡を継ぎ日本の軍制を整備していく。用兵に長け、西郷隆盛らからも高い評価を受けていた。
欧州訪問の際にナポレオン法典と出会い、法律は軍事に優先することを信条とし、以降は法律の整備に生涯を捧げた。
民法、商法、民事訴訟法などの基礎を作り、日本大学の前身の日本法律学校の創立にも深く関わった。