宮脇俊三著 「終着駅へ行ってきます」 を読んだ。
時代は昭和50年代
日本各地25の路線の終着駅を訪れた記録が綴られている。
鉄道に乗っている時の旅情もさることながら、終着駅に着いた後一杯やっている姿も楽しく、グルメ紀行にもなっている。
最果ての駅としていまだ健在。とりまく状況は厳しいが、鉄道ファンにはあこがれの地であることは変わらない。
1989年廃線に伴い廃駅。ターンテーブルと蒸気機関車が保存されている。
1987年に士幌線廃線となり、全てバス代行となる。十勝三股は現在でも1日1便運行の秘境である。
2016年廃駅。現在は新たな観光拠点として再整備中である。
高倉健主演の映画の舞台にもなった場所である。
瀬棚線瀬棚駅
1987年廃線により廃駅。北海道最西端の駅であった。
現在は記念碑とレプリカの駅名標が設けられている。
阿仁合線比立内駅
山間部の終着駅で秋田でも指折りの秘境駅であったが、内陸縦貫鉄道の開通によって途中駅になった。マタギ文化の残る地域である。
東日本大震災で被害を受けるも、2015年に復旧。
漁港近くにあり、食の旅でもあった。
日中線熱塩駅
蒸気機関車による旅客輸送を最も遅くまで行っていた路線であった。
足尾線間藤駅
宮脇氏が国鉄完乗を達成した縁の深い駅。
鶴見線海芝浦駅
東芝京浜事業所の敷地内にあり、関係者以外は駅から出ることができない。
宮脇氏が訪れた時代から今なお変わらぬ形であるが、東芝の傾き具合によってはこの駅も一体どうなってしまうのか予断を許さないところである。
赤谷線東赤谷駅
鉱山が閉じられ、乗客がいなくなり、鉄道もなくなるというお決まりのパターンではある。しかし駅長さんとの短いやり取りは鉄道ファンでなくても琴線に触れるエピソードではないだろうか。
かつて丸窓電車と呼ばれた個性的な車両が走っていた路線。
2012年から5年連続輸送人員が増加しており、小さな鉄道会社ながらも必死に踏ん張っている。
北陸新幹線開業に伴い廃止も検討されたが、引き続きJRで運行が決まる。
ここも漁港で、漁や市場の様子が楽しい。
ここも漁港付近の終着駅だが、近隣の町の描写がメインであった。
日本屈指の観光路線ともいえるこの路線
宮脇氏は高所恐怖症とのことだが、タモリといい、私といい鉄道好きになると高い所は嫌いになるのだろうか。
空港への延伸も検討されたようだが実現には至らず。
西国三十三所巡りの第三十三番札所の華厳寺の最寄駅であったが、2001年谷汲線の廃線により廃駅。駅舎は昆虫館になっている。
さらに2009年の台風被害で一部バス代行を強いられ、廃線も検討されたが2016年に再び全線開通を遂げる。
片町線片町駅
京都の木津駅から大阪府京橋駅へ至る路線。現在では学研都市線と称されることの方が多い。路線名となった片町駅であるが、巨大ターミナルである京橋駅と近距離の盲腸線であることから、利用者の低迷によりあえなく廃駅
国鉄時代は路線延伸がかなわず、海部駅が終着駅であったが1992年に阿佐海岸鉄道が開通・海部駅に乗り入れを行い悲願成就となる。しかし、延伸部分は人口減などによりDMV導入が決定したようだ。
宮脇氏はウミガメの産卵も目撃。
境線境港駅
一見ローカル盲腸線ではあるが、実は山陰最大の漁港・貿易港である境港とこちらも山陰の主要都市米子を結ぶ重要路線。駅付近には亡くなられた水木しげる氏ゆかりのキャラが勢揃い。
とかく宮脇氏は魚市場が好きらしい。氏によれば終着駅と魚市場はセットのようなものだそうだ。今回も駅近くの市場でセリを見学、その前日には駅の先、青海島でかまぼこ工場も見学。
こちらもほぼ支線の様な駅。かつては関門海峡を臨み、波止場のある終着駅らしい終着駅であったが海峡を徒歩でも渡れる現在にあっては。。。
現在駅舎は文化財、駅付近はレトロ建築の並ぶ観光地となった。
妻線杉安駅
宮崎駅に最初に乗り入れた鉄道であったが、利用減により1984年廃線・廃駅。
湯前駅への延伸も計画されていたが実現には至らず。
駅付近にもほぼ痕跡は残されていない。
JR最南端路線の終着駅。
作中では路線途中の山川駅付近で漫才コンビの銀シャリ・鰻君のルーツと思われる鰻集落が登場。数か月前にNHKで放送していたのと同じようなエピソードが載っていた。まさかこの本が下敷きとか・・
枕崎駅はもともと鹿児島交通の枕崎線の駅であったが1984年に廃線。この作品では現役の鹿児島交通の駅として描かれている。