幌内線を行こう ― 弥生駅 ―

目次

 

 

1.弥生駅

廃線となった幌内線の跡を訪れるシリーズ。

今日は弥生駅跡の現在について。

 

 

弥生駅道道116号線から南側の脇道に入ったところにあった。

近郊の炭鉱から石炭の積込線であったが、付近住民の請願により仮乗降場そして旅客駅へと昇格した。

廃線の数か月前に駅舎が不審火で焼失。

現在は記念碑が残るのみとなっている。

 

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ここにも旧駅舎が描かれた石碑。

なぜか台座からずれている。

 

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裏面には三笠市長の言葉

 

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当日は桜吹雪が舞っていた。

面影はほぼないが、廃線の雰囲気たっぷりである。

 

2.弥生駅と近隣の歴史

弥生地区も炭鉱のあったエリア。

開坑は1905年と、歴史は古い。

大正の初めころに規模を拡大し幾春別駅へ馬車軌道で運炭していた。

 

1927年幌内線そばに選炭場、積込線を設置し馬車軌道を廃止。

1931年に上記設備を幾春別寄りに移転。

1945年住友炭鉱が弥生炭鉱を買収。

1948年弥生に仮乗降場が設置される。1951年駅に昇格、旅客・荷物を取扱。

 

1947年の国土地理院地図の航空写真

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まだ駅はできていないが、大体この辺りに設置されることとなる。

選炭場や専用線の設備、ぎっしりと並ぶ炭鉱住宅の姿が見える。

 

1960年弥生炭鉱が隣の奔別炭鉱と統合、出炭ルートも同時に統合され弥生側の施設・専用線は廃止となった。

1970年弥生炭鉱が閉山。

 

1981年駅業務が簡易委託となり駅員無配置となる。

1987年1月に駅舎が全焼。同年幌内線廃止に伴って廃駅となる。

 

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炭鉱設備跡を探すことはすっかり難しくなってしまった弥生地区だが、炭鉱住宅はまだ一部その姿を残している。

 

赤い三角屋根が特徴的。