日帰り日高 ― 様似駅わがまちご当地入場券 ―

目次

 

 

1.様似駅

北海道にもようやく夏の陽射しがやってきた某月某日

早朝4時に起床して、車を駆る。

休憩しつつも札幌からどんどん進んで、9時に到着したのは様似駅

 

2015年1月の高波被害以降運休の続く日高本線

復旧の可能性は極めて低いとされている。終着駅である様似駅にもう列車が訪れることはないのだろうか。

 

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駅舎はご覧のとおり観光案内所を併設している。

 

 

2.様似駅とわがまちご当地入場券

 

列車は来ないが駅員は勤務している。代行バスが運行中ということでそちらの切符も販売しているのだろう。

ということで、わがまちご当地入場券を購入する。

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駅スタンプはジオパークに認定されたアポイ岳高山植物

 

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裏面は名勝地、親子岩である。

 

 

 

展望台もあるが、近くの海水浴場からの眺めが良い。

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あいにく霧がかった天気だったが、ほほえましいネーミングに納得の構成である。

 

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由来。アイヌの哀しい伝説についての説明版。

 

もう少し時間をとって他の駅や名所もまわりたかったのだが、この日は全く時間に余裕がない。後日ゆっくり訪れることにして次の目的地へ向かうことにした。

 

3.様似駅と近隣の歴史

江戸時代の様似地区は隣の幌泉(えりも)と同様、松前藩の支配する油駒場所に含まれていた。1799年にそれぞれに二分され会所が設置される。

明治に入ると会所は廃止され駅逓に転換。

1880年様似村戸長役場が設置。

その前年には函館との間に西洋型帆船が就航、以後鉄道が開通するまで海運が物流の主となる。

1890年前後になると移住者が増え始める。生業は漁業が主だが農業も始まった。

人口が増え、市街地ができ始める。

 

1937年、日高本線開通、様似駅は終着駅となる。一般駅として開業。

1面1線のホームと側線を持っていた。

木材の発送が多く、他にも水産物や肥料、競走馬なども発送していようだ。

1940年北海電気興業(現在の新日本電工)工場が開設、専用線敷設。

 

東邦電化はこの地方で採れる橄欖岩(かんらんがん)という珍しい鉱物の採石及び高炉用資材としての加工を行っていた。

工場で使用する電力を安定供給するため東にある幌満川には3つの水力発電用のダムと発電所を建設。

1954年に建設された幌満川第三ダムは現在も民間所有・管理のダムとしては国内最大の貯水量を誇る。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

様似駅から東にある工場への専用線が見える。

駅西側のカーブ北側には水色の屋根の車庫、その西側にはかつて転車台があった。

 

1982年貨物取扱廃止。同時に専用線も廃止となる。現在は道路に転用されている。

 

 

廃線跡の道路。何の変哲もない道だ。

 

2015年高波被害で運行休止。

2021年鵡川駅様似駅間廃止に伴って廃駅となった。

 

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