元夕張線をまわる ― 川端駅 ―

目次

 

1.川端駅

今回は石勝線の開業前、夕張線と呼ばれていた時代の路線をまわっていく。

夕張線はもともと追分駅から夕張駅までの路線であり、1892年に北海道炭鉱鉄道の路線として開業したものである。

それから約100年後の1981年、新夕張駅から新得駅までの路線が開通。

かつての夕張線は石勝線の一部及び夕張支線という位置づけになった。

 

そんな背景をちょいと調べ、スタートは由仁町の川端駅

 

 

由仁町の外れに位置するこの駅は1894年開業の歴史の古い駅である。

大正から昭和にかけては炭鉱で使用する火山灰を運ぶ専用鉄道も設けられたが、わずか7年間の運用であった。

 

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自転車が置いてあり、駐車場にも数台の車が止まっていたのでこの日はそれなりに利用があったのだろう。

 

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跨線橋の向こうには古い客車が置かれている。

 

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パークゴルフの受付・休憩所に使われていたらしい。

今はパークゴルフ場そのものが休業?閉鎖?状態らしく、この車両と後ろの建物も廃墟状態である。

 

この駅も利用者はかなり少なめである。近くにバス亭もなく果たして今後どのような運命をたどるのだろうか。

 

2.川端駅と近隣の歴史

1894年北海道炭礦鉄道の追分~紅葉山(新夕張)間開通に伴い一般駅として開業。

夕張川に近い位置だったことから駅名がつけられた。

駅設置後商店街ができ、駅からは木材や火山灰を搬出。

1898年には本間農場が開設され人口増。滝の上・円山・安平方面からの買い物客も多かった。

 

1906年北海道炭礦鉄道の路線が国有化。

 

大正時代初期、町内の大火により駅舎が全焼。駅舎は北側に移転改築。

1919年上述の火山灰採取用専用鉄道開設、1926年に廃止。

 

1948年の米軍撮影航空写真

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画質が悪くていまいちよくわからないが駅横には木材が積まれているような。

駅北側には工場らしき建物?の大きな敷地がある様子。

 

1981年貨物取扱廃止及び無人化され現在に至る。

 

 

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