今日は2014年5月27日の空から日本を見てみようで紹介された紀伊半島後編について調べてみた。
まずは湯浅町
人口は約1万人。
醤油の発祥の地として知られる。
古来より良港ゆえの物流中心地として栄えた。
柑橘類の生産も盛ん。
現在でも醤油や味噌の醸造蔵が多く残り、伝統的建造物保存地区に指定されている。
広川町
人口は7千人弱。
1854年、安政南海地震が起こった際に、現在のヤマサ醤油の党首であった濱口梧陵が藁に火をつけ、村人に危機を知らせ被害を最小限に抑えた逸話「稲むらの火」が有名。
濱口家の旧家は記念館と津波防災教育センターからなる「稲むらの火の館」となった。
また、梧陵は地震後、広村堤防築造の指揮を執る。田畑を失った農民に仕事を与え、さらに後の大正、昭和に起きた津波を防ぐこととなった。
その他国の重要文化財である広八幡神社や桜が人気の広川ダムなどがランドマークだ。
人口は5千人。
白崎海岸は日本で珍しい石灰質岩石でできた白亜の景色が広がる。
かつては石灰岩の採石場で、現在は海水浴場やダイビングスポットになっている。
地中からはペルム紀の海洋生物の化石が出土している。
人口は約7500人。
リアス式海岸による良港に恵まれ、高級魚クエの産地である。
広川町との間にある熊野古道の難所であった鹿ヶ瀬峠の石畳は県の指定史跡となった。
人口は7000人ほど。
紀伊日ノ御埼灯台と徳島県の蒲生田岬灯台を結ぶラインが瀬戸内海と太平洋の境目となっている。
明治時代にカナダへ出稼ぎに行く人が多く、成功の後帰国した人々はカナダ風の住宅を建て付近はアメリカ村と呼ばれた。現在は老朽化などにより数件が残るのみとなっている。
人口は約23000人程度。
スイートピー、カスミソウ、スターチスは日本一の生産量を誇るなど花卉の生産が盛んである。
また麻雀牌の生産も日本一で、全自動卓はほぼ100%のシェアを誇る。
人口は9500人ほど。
紀州備長炭の生産量一位を誇る。ミカンの栽培や鮎の養殖なども盛ん。
椿山ダムはダム湖百選に認定され、付近には山彦を楽しめるやっほーポイントなるものもある。
人口約8千人。
海岸段丘での野菜や花卉の栽培が盛ん。
人口は約12000人。
最高級品の梅とされる南高梅の発祥の地である。
梅は栽培だけでなく、加工・流通・小売業への影響も大きく主幹産業となっている。
南部梅林は日本最大の梅林として知られる。
備長炭の生産や漁業も盛ん。
熊野古道の一部である景勝地の千里の浜はアカウミガメの産卵地としても有名。
人口7万人強。
和歌山県第二の都市で、県南部の中心的存在である。
近畿地方では最大の面積を持つ市である。
熊野本宮大社など世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野三山の中心となる。
観光以外では梅やミカンの栽培に畜産や業業も盛んである。
人口は約1万5千人。
梅や瓢箪の生産が盛ん。
貝ボタンの製造が盛んであった。現在もプラスチックによるボタンの製造がおこなわれている。
歌手の坂本冬美の出身地。
人口約2万人。
古代より温泉地として栄えた。
夏には熱帯魚を見ることもできるという白い砂浜での海水浴は海外でも人気だ。
砂浜だけでなく千畳敷や三段壁などの岩盤や柱状節理などを楽しめる景勝地もある。
動物園、水族館、遊園地が一体になったテーマパークであるアドベンチャーランド。
最大の目玉はやはりパンダだ。