目次
1.札沼線廃止決定
2020年の5月7日を持って廃止が決定してしまった。
冬に一度乗ってみたことはあるが、沿線の風景などはやはり雪のない季節でないとわからない。
しかし、全ての駅舎を訪ねるにはもはや車でないと不可能に近い。
ということで、黄金週間も終わって行楽に出かける人は減ったと思われる某月某日、札沼線廃止予定区間を巡ってみた。
2.石狩金沢駅
まずは石狩金沢駅
国道275号のすぐそばだが、駅への入り口は並行して走る西側の道に面している。
駅名の由来は諸説あるが、いずれも石川県金沢市が起源。
錆の目立つ貨車駅。
1979年に貨物・荷物扱い廃止 。
駅舎の基礎跡のみがまだ残っている。
札幌方面。
ひたすらに真っすぐ続く線路。
月形方面。ホームの反対側はかつて線路が敷かれていたスペース。
駅前にはかつての農業倉庫のような建物。
当別町史によると鉄道のない新篠津村産のコメや野菜の出荷や肥料の荷揚げなども行われていた。そのために新篠津農協は駅前に農業倉庫建設・農協支所設置・米殻検査なども行っていたそうだ。
駅舎正面の道。
真っすぐ進むと開拓ふくろふ乃湯という、最近ちょっと話題の温泉施設。
近くで蕗を採っているおじさんがいた。
邪魔にならないように早々に引き上げようとすると、蕗がたくさんとれたから少しあげようかと声をかけられた。
迷ったが、生だと処理が大変そうなので丁重にお断りすると、写真撮りに来たのかと尋ねられる。この駅を始めに周ってみるつもりですと言うと、良い趣味だねえと言われた。
ありがとうございますと笑って別れる。
ただの変人だと思われそうなものだが、お世辞でも褒めてくれるのは有難い。
幸先良いスタートである。
3.石狩金沢駅と近隣の歴史
2年後の1888年に樺戸道路(現在の国道275号)が開削された。
といってもこの辺りの平地は元々泥炭地であり田畑を作れるような場所ではなく、山間や丘陵部から開墾が始まったらしい。
1938年日本石油が泥炭を燃料に活用すべく草炭工場を設立。
第二次大戦後売却され、高橋草炭化学工場と名を変え肥料を生産する。
現在も高橋ピートモス工業と名を変え、現在も土壌改良資材として生産を行っている。
石狩金沢駅は1935年石狩当別駅ー浦臼駅の開通に伴い一般駅として開業。
1944年第二次世界大戦の激化により不要不急線に認定され営業休止。
1946年営業再開。
当時はまだ原野のままの湿地帯が広がっており魚釣りや山菜取り客なども多かった様子。しかし1951年から篠津開発事業で排水・客土などの土壌改良によって湿地は水田へと変貌を遂げていき、いつしか行楽客は姿を消した。
コメの生産量は上がったものの、モータリゼーションも活発化し鉄道の貨物量は取り扱いを減らしていく。
その結果1979年貨物荷物取扱廃止・無人化。
この頃までは2面3線の交換駅だったが、駅裏ホームとレールがまず撤去。
貨物線も保線用引込線となる。おそらくこの頃に駅舎も貨車駅に改築されたものと思われる。後に引込線も撤去され完全な棒線駅となった。
そしてついに2020年5月7日をもって廃線。
新型コロナウイルスの影響で4月17日が急遽最終運行日となった。
1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。
駅前には民家も並び、線路に沿って建物が並んでいる。
貨物や保線用の施設だろうか。
駅南西(左下)には楕円のグラウンドの金沢小学校も見えるがこちらも1989年廃校。
現在は住宅が数件建っている。
1970年代の現役木造駅舎の写真が掲載されている雑誌はこちら。
当別町史にも木造駅舎の写真が掲載されている。