目次
1.石狩追分駅跡
国道275号線に戻り、北へ進む。
田園地帯の中に小さな市街地。
妹背牛町・深川市方面への分かれ道がある石狩追分という集落だ。
ここに石狩追分という駅があった。
1931年開業の一般駅。
1972年、廃線とともに廃駅となった。
やや字が薄れかかっているが、ここにも石碑が建っている。
原っぱの中にぽつりと建つ記念碑。
せっかく記念碑を建てたので、今後は観光資源として整備・・・
というのは無理な相談か。
立派な農業倉庫は廃線跡の一つの目印。
こちらは低温倉庫。
なんとなく、レンガ造りの方が威厳がある気がする。
2.石狩追分駅の歴史
石狩追分駅は1931年石狩沼田駅~中徳富駅間の開通に伴い一般駅として開業。
駅名の由来はこの地が交通上重要な分岐点(追分)であったことに由来している。
現在も雨竜市街・北竜・妹背牛と3方向へ向かう道路が交差する地点となっており、かつては国領・川上方面への分岐点でもあった。
1943年に第二次世界大戦の影響で当駅~石狩月形駅間が営業休止。一時的に終着駅となった。さらに1944年には当駅~石狩沼田駅間も休止となる。
1956年終戦後10年以上を経て漸く雨竜駅~石狩沼田駅間が復旧。札沼線が再び全通となった。
1972年新十津川駅~石狩沼田駅間の廃止に伴い廃駅となった。
50年近く前に廃駅になったこともあり、ネット上にも殆ど画像が転がっていない。
雨竜町史には白黒の写真が載っているので、興味のある方は見てみてください。
駅舎は雨竜駅の半分ほどのサイズ。小さな駅で、単線ホームと貨物積卸線があった。
1960年代後半の国土地理院地図の航空写真。
米殻の発送を行っていたこともあってか、駅付近に建物が多い。
記念碑が建っている草叢は駅と線路の跡だろう。
3.渭ノ津(いのつ)駅跡
隣は渭ノ津駅。
戦後、1956年に開業。
1972年に廃線により廃駅とわずか16年の現役生活であった。
付近は田園地帯で痕跡は見つけられそうにないので次の駅を目指す。
こちらも駅跡の画像のみ。
雨竜町史によると板張りホームのみの仮乗降場スタイルであったようだが、wikipediaでは1963年頃に待合室があったとされている。
渭ノ津という変わった駅名はこの地に入植してきた人々の出身である徳島市の旧名である渭津に由来している。