今日は2015年3月3日放送の空から日本を見てみようで紹介された埼玉県さいたま市について調べてみた。
人口は約130万人で日本第9位である。
関東平野の中心に位置し、山地や丘陵などはなく低地及び台地で構成されている。
江戸時代は旧岩槻藩の城下町を除くと旗本・寺社領などが入り乱れていた。
中山道の宿場町が幾つかあったものの比較的小規模であり、現在では痕跡はあまり見られない。
関東大震災時、当時の浦和・大宮などは土地整理が進んでおり被害が軽微だった。
壊滅的な被害を受けた東京や横浜から移住が多く、現在の大都市への発展の礎となっている。
西区
旧大宮市の西部に位置し、荒川に接する。
西大宮駅周辺は宅地、その他は田園が広がっている。
埼玉県内には珍しい方墳である大塚古墳、大宮アルディージャのサブグラウンドがある秋葉の森総合公園などが名所。
次は北区
中山道の大宮宿と上尾宿の間に位置する。
しまむら、マレリ(旧カルソニックカンセイ)の本社がある。
次は旧大宮市の中心地、大宮区
中心となる大宮駅は東京駅に次ぐ乗り入れ路線数を誇り、近隣にはJR総合車両センター、JR貨物大宮車両所、大宮操車場など工場・保守・運行施設が並ぶ。
またJR東日本発足20周年を記念し鉄道博物館も建設された。実際の展示場所は上記の現役鉄道施設とも接続されており、車両の入替が可能である。
また駅南の山丸公園にもSLが静態保存されている。
また北大宮駅近くには大宮という地名の由来となった氷川神社総本社がある。
続いて見沼区
旧大宮市の東部にあたる。
古代においてはこの地も東京湾の一部であり、その後海岸線が後退するもこの付近は長らく見沼と呼ばれる沼沢地の一部であった。
江戸時代に干拓が始まり、日本三大農業用水とも言われる見沼代用水や芝川との間を結び水運に活躍した見沼通線堀なども整備される。
見沼は田園地帯となり、現在も保存活動により農地の転用は制限され、首都圏随一の緑地帯を維持している。
ほぼ全域が低地で、最も高い地点でも海抜16m超である。
宅地が多く、郊外都市の様相が強い。
首都機能補完としてさいたま新都心が国鉄大宮操車場跡に建設され、県内有数のビジネス拠点となっている。
続いて旧浦和市域に入る。
まずは桜区
荒川、鴨川が南北に並行して流れ区南西部は広大な河川敷となっていて公園や農地に利用されている。
元々は門前町、江戸時代に浦和宿が整備され宿場町の性質を持つ。
現在は行政機関が立ち並ぶ。
次は南区
面積の半数以上が宅地を占める。
荒川の第一調節池内の彩湖付近の公園や50年に一度開花するというリュウゼツランが話題となった別所沼公園が名所となっている。
次は緑区
日本のサッカー専用スタジアムとしては最大となる埼玉スタジアムが位置する。
最後は旧岩槻市域となる岩槻区
戦国時代の北条氏の支配を経て江戸時代には譜代大名の居城となった岩槻城の城下町。
曲輪址の一部が公園となった。
藩校であった遷喬館は現在博物館の付属施設として保存されている。
日光当初宮造営に関わった職人が名水を好んでこの地に住み着いたことから岩槻人形と呼ばれる雛人形の製作が盛ん。