今日は2015年3月3日・10日の空から日本を見てみようで紹介された埼玉県の上尾市から熊谷市について調べてみた。
まずは上尾市
人口は約22万5千人。
江戸時代の中山道の上尾宿を起源とする。
江戸時代までは用水に恵まれず荒川周辺が栄えていたが、鉄道の開通をきっかけに現在の中心部が発展。
ブリジストンサイクルやUDトラックスなど自動車産業の事業所が多い。
次は桶川市
人口約7万5千人。
かつての中山道桶川宿。
江戸時代には紅花の生産が盛んであり、最上地方に次ぐ収穫量を誇った。
熊野神社古墳の出土品は東日本では珍しく、関西と類似点が多いことから国の重要文化財となった。
続いて川島町
荒川と越辺川に挟まれ、その立地を生かして田園が広がっている。
桶川市にまたがるホンダエアポートや日興証券創設者の遠山元一の記念館などが名所。
次は北本市
人口は約6万5千人。
当初は鴻巣宿がこの地に置かれていた。
縄文時代のデーノタメ遺跡は関東地方最大級の環状集落跡、集落と水場が両方残るのは極めて珍しいとされる。
続いて鴻巣市
人口約11万7千人。
中山道の宿場町を起源に現在では都市部の衛星都市となっている。
花卉園芸や稲作も盛んで、ひな人形の産地としても有名。
次は吉見町
人口は約1万8千人。
町内は田園が多く、湖沼が多い。
発見当初は住居か墓穴で論争があったが、現在は集合墳墓説が有力となっている。
住居説を唱えたのは明治~大正の考古学者で弥生土器の発見者の一人である坪井正五郎で、日本人の住居としては小さすぎることからコロポックルのような先住民族が住んでいたという説を主張していた。
次は行田市
人口は8万人弱。
国宝金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳や日本最大級の円墳とされる丸墓山古墳などを中心とした埼玉古墳群が公園として整備されている。
また映画のぼうの城の舞台となった忍城が一部復元され、展示室も兼ねている。
水攻めの際に築かれた堤防、石田堤も一部が残っている。
古代蓮や足袋蔵も有名である。
次は滑川町
人口は2万人弱。
県内有数の人口増加地域であるが、北部は自然のまま、あるいは田園地域が多い。
熊谷市にまたがる、明治100年記念事業で整備された国営武蔵丘陵森林公園が名所。
続いて熊谷市
人口は約19万人。
江戸時代の宿場町を起源とし、現在は埼玉県北部の中心都市である。
荒川扇状地の東端に位置し、市の面積の約3分の2が荒川と利根川に挟まれている。
気温の高さが全国ニュースになることが多く、都心のヒートアイランドによる熱風とフェーン現象による赤城山からの熱風が交差することが原因とされる。
利根川左岸に集落があるが、直通する橋はなく群馬県太田市を経由する必要があり、編入の陳情もあるようだ。
や谷宿の本陣当主が整備した星溪園などが名所。
続いて深谷市
人口約14万人。
利根川と荒川に挟まれた地域となる。
荒川右岸最大級の鹿島古墳群、鎌倉時代の御家人畠山重忠の史跡公園や岡部藩の陣屋式などの史跡が有名。
また渋沢栄一の出身地でもあり記念館が建てられている。
深谷ネギで有名だが花卉栽培も盛ん。かつてはレンガや瓦などの製造も盛んでドイツ人技師ホフマンが考案し、明治期に各地へ輸入された窯は現在も遺構が残っており、重要文化財となっている。
最後は本庄市
人口は7万7千人。
古代より各時代の遺跡が発掘され、鷺山古墳は県内最大の前方後円墳として知られる。中山道最大の宿場町として栄え、明治時代には遷都が検討されたこともあった。