空知無人駅巡り ― 峰延駅 ―

目次

 

1.峰延駅

国道12号線を北上。

岩見沢市を抜け、三笠市を一瞬で通り過ぎ美唄市に入って最初の市街地峰延。

国道から左手に入ったところに峰延駅がある。

 

 

駅の周辺は市の中心部から離れている割には規模の大きめな集落。

 

 

 

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左右対称の雰囲気の良い駅舎。

 

中央部は印象的なレンガ造りで、アクセントを利かせている。 

 

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跨線橋は青ベース。

昭和の雰囲気を良く残している。

線路の東側は再び防雪林が並ぶ。

 

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駅前には花壇が整えられている。

 

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駅横にはお決まりの農業倉庫。

JA峰延は岩見沢市東部、三笠市岡山、美唄市南部を範囲とする市をまたがって経営している農協。

 

大正時代に前身の峰延産業組合の設立に尽力した小林篤一は後にホクレンの初代会長となった。

 

 

 国道の反対側には顕彰碑も建てられている。

 

 

2.峰延駅と近隣の歴史

樺戸集治監へ向かう樺戸道路が1887年に開通。石狩川には渡し船が設置された。

 

峰延駅は1891年に一般駅として開業。当初は峯という字を使用していた。

 

開業当初は月形の樺戸集治監や三笠の空知集治監の最寄り駅であった。

月形・美唄・三笠への分岐点となる峰延駅前が市街地化していく。

現在も峰延駅から三笠市市街地手前に通じる道道1140号、峰延駅の少し南側から月形町中心部に通じる道道275号線に名残を見つけられる。

 

1900年に現在の字体に変更。

岩見沢以北の鉄道はまず三笠の炭鉱へ向かう幌内線が最初に敷かれ、現在の函館本線は遅れて開業した。

 

明治期には川内川沿いに峰延炭鉱が開山。

1904年峰延駅と炭鉱を結ぶ馬車鉄道が開通。駅北側に積込場が作られ駅から引込線が敷かれた。石炭・木材を搬出していたが僅か2年ほどの稼働で1907年には閉山となった。

 

その後は農村の一般駅として稼働。

1960年頃には近くの日本油脂・帝国火工品製造(北海道日油)に原材料を運んでいた。

日本油脂はダイナマイトの爆薬、帝国火工品製造は雷管を生産していた。

現在も広い敷地を持つ工場だ。

 

泥炭地の多い美唄では昭和初期から客土事業が行われてきた。

ここ峰延では1955年頃、山地から架空索道を用いて土を運ぶ事業が行われた。

これは全国でも初の試みであったらしい。

今は国道12号線石狩川の間はほぼ田園となっており、道内でも有数の米どころであるが、このような大変な土壌改良の末にできた農地であった。

 

国土地理院地図の1970年代後半航空写真。

 

駅周辺はあまり変わらないように見える。

 

 

1978年貨物取扱廃止。

1984無人化となり現在に至る。

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