空知無人駅巡り ― 光珠内駅 ―

目次

 

1.光珠内駅

峰延の市街地を出て国道12号線を北上。

見渡す限り田園の広々としたエリアの先に小さな市街地がある。

左手に曲がると光珠内駅。

 

 

1920年に信号場として開業。

一旦廃止となった後、1948年仮乗降場として復活、さらに1952年に駅に昇格。

 

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木造の駅舎は有人駅時代から変わらぬ姿のようだ。

減築や建て直された簡易駅舎が多い中、この規模を残す無人駅はありがたい。

入り口の構造が独特なのは積雪対策か、デザイン性の問題か。

 

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駅の左手には開駅30年記念碑。

 

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跨線橋の入り口はなぜか片側だけ狭められている。

これも風雪対策?

 

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真っ直ぐな線路と右手に広がる田んぼ。

 

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旭川方面は国道の拡幅で跨線橋の工事が進められている。

 

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ぽつねんと佇む駅名標

緑の季節は長閑で和ませる風景だが、真冬には凛々しく直立する姿が勇ましく見えるのだろう。

 

 

2.光珠内駅と近隣の歴史

光珠内の歴史は1891年から始まった屯田兵の入植からとなる。

この地は当時高志内兵村と呼ばれ、砲兵隊が入植していた。

この頃北海道炭礦鉄道が開業し、歌志内まで線路が続いていたが光珠内は勾配の関係からか駅は設置されなかった。

 

1920年函館本線の複線化工事の際に光珠内に信号場が設置される。

1924年工事竣工時に信号場も廃止。

1948年光珠内仮乗降場として開業、旅客のみ取扱。

1952年駅に昇格。貨物の取扱いはなかったようで旅客と荷物のみの取扱いとなる。

1978年荷物取扱廃止。

1997年完全無人化となった。

 

国土地理院地図の1970年代後半航空写真。

 

駅舎の左右には建物?設備?

現在は空き地になっている。

周囲は今と同じく、国道12号線に沿って民家が並び、その周辺は農地になっている。

 

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