石狩市 ― 札幌のベッドタウンから秘岬まで ―

今日は石狩市について調べてみた。

wikipedia:石狩市

 

人口は約5万8千人。

海岸線に沿って南北に長い市域を持つ。

 

鉄道の駅は存在しない。

かつて軽川駅(現在の手稲駅)から馬車鉄道が通っていたことがあったが、1940年に廃止。1995年に地下鉄やJR延伸の試案が発表されたが具体化には至っていない。

 

札幌から北へ向かう国道231号が市域を縦断し、厚田地区に道の駅が設置された。また、道央圏連絡道路である国道337号が市南部を東西に掠めている。

北部では浜益地区と新十津川町滝川市をつなぐ国道451号が走っている。

 

松前藩により石狩場所が設けられ漁業、アイヌとの交易、石狩川流域地域の中継点(内陸部の木材など)により栄える。

1996年に市制変更、2005年に厚田村浜益村編入合併し現在に至る。

 

札幌市手稲区に近い花川や樽川などは札幌市のベッドタウンとしての様相も強い。

少し北に行くと重要港湾である石狩湾新港がある。

札幌圏に近いことから物流のみならず災害時輸送拠点としても期待されている。LNG火力発電や風力発電も順次稼働予定。

 

石狩川下流域となるこの辺りは水害の絶えない軟弱な地盤であった。

石狩川の蛇行部分をカットし、直線化を図った生振捷水路(おやふるしょうすいろ)に河跡湖となった茨戸川・真薫別川。水の出口となる志美運河に石狩放水路など治水に関わる土木工事が大正時代から昭和50年代まで行われてきた。

 

石狩放水路ゲート付近には川の博物館も建てられた。

またかつてはマクンベツ湿原という広大な湿原もあった。その名残が現在も木道などを整備された観光地となっており、春になると水芭蕉の群落を楽しむことができる。

 

河口付近には現存する道内最古の灯台である石狩灯台が明治時代から今もなお現役で頑張っている。建築当初は河口だったが、その後砂嘴が発達し、今では灯台の先に1kmほど遊歩道もできた。付近ははまなすの丘公園として整備されており、カントリーサインにも描かれている。

 

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灯台の少し手前には海水浴や砂の彫刻で有名なあそびーち。

すぐ傍にはいしかり砂丘の風資料館という博物館も。

 

さて石狩川を渡って北へ向かうとやがてかつての厚田村域に入る。

海岸線に沿って国道231号が走り、眺めのいいところである。

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カントリーサインに描かれているのは義経の涙岩と弁財船(べざいせん)。

涙岩は残念ながら新トンネルの開通などで陸上からは見ることができなくなった。

弁財船は江戸時代に使用されていた船の型式。

厚田村は江戸時代から漁業で栄えてきた。現在は稲作も盛ん。

道の駅の近くには桜で有名な戸田記念墓地公園や防波堤の内側に造られた海浜プールなどもあり春夏は特に賑わっている。

 

さらに北へ行くとほぼ断崖絶壁の道。

しばらく進むとかつての浜益村中心地。

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カントリーサインに描かれているのは一羽の大鷲が羽根を休めた姿のようなわし岩。

ここも船に乗らないとみることのできない場所だ。

 

山地と海に挟まれた極めて険しい地形で、漁業が基幹産業である。

江戸時代にこの地の警護を命じられた荘内藩の陣屋跡が今も残っている。

 

ここからさらに北へ行くと北海道三大秘岬と謳われた雄冬岬

1981年11月に浜益から国道231号が開通したものの、その年の12月にトンネル崩落。

復旧工事が完了したのは1984年であった。

北に向かう増毛方面も冬期は通行止めであり、1992年にようやく国道231号が開通。

現在は車で行けるようになったが、かつてここを訪れるには増毛市街地から岬北にある増毛町雄冬集落への定期船に乗るしか方法がなかった。すぐ傍には白銀の滝。