某月某日。
休日の暇な午後を自転車に乗って時間つぶし。
この日は札幌ファクトリーへ行って見た。
1989年までサッポロビールの第一工場としてビールを生産していた。
ビール工場の貯酒棟だったレンガ館。
恵庭市の大規模な工場の完成によりその役目を終え、現在は観光スポットへ転換した。
現在はビアホールや土産物店となっている。
高さ40mの巨大な煙突もシンボルの一つ。
かつての工場の様子も展示されている資料館もあって、ビール工場の見学ツアーの簡易版のようなことができる。見終わった後は一杯やりたいところですね。
国土地理院地図の1970年代前半の航空写真。
もちろんビール工場はまだ現役だ。
ビール売捌所で先人カードを頂く。
自転車なので飲めません、残念です。
越後国与板藩の商人の家に生まれた。
開拓使麦酒醸造所は日本人による初めてのビール醸造所であり、現在のサッポロビールの原型である。
華々しい功績にもかかわらず、後年ドイツから輸入した新技術の失敗の責任を取ってビール業界から去る。
小樽に旅館を構え、そちらも成功していた。しかし海運関係者から利尻島の窮状を聞いて港湾開発などに出資。個人では膨大な金額を支えきれず破産してしまう。
そののちは妻子と共に横浜で慎ましく暮らしていたそうだ。
さて、レンガ館と隣接する2条館の東出入口付近にも史跡が残る。
札幌神社。サッポロビールの神社という意味ではなく、北海道神宮のこと。
石柱には札幌神社と刻まれているが、工場や会社内に建てられたものに「構内」とつけるのが基本らしい。
明治、大正、昭和天皇がそれぞれ即位後や皇太子時代に訪れたことを記念して建てられた石碑。
植村澄三郎(うえむらちょうざぶろう)の銅像。
札幌麦酒の専務取締役。原料麦の改良、麦芽やホップの国産化に努めるなど日本のビール産業に大きく寄与した人物だ。
あまり目立たない場所にあるが、レンガ館を見学したらこちらにも立ち寄ってみるのはどうだろう。
札幌市は第二次産業の影がやや薄い都市であるが、その中にあってサッポロビールは未だに存在感を放ち、各所にその名残を残している。