サッポロファクトリーの東隣は永山記念公園という名の公園になっている。
永山とは北海道長官を務めた永山武四郎からとられたもの。
広場の横には永山武四郎の私邸が保存されている。
長官の住居といえども、外観は現在からみると質素な和風建築。
薩摩藩出身の永山には北海道の冬の寒さは厳しかったのではないだろうか。
隣の洋館は永山の死後、この地を買い取った三菱鉱業セメント株式会社が建てたもの。
昭和12年建築。
緑に囲まれた敷地内にはオープンカフェのようなスペースも。
登録有形文化財です。貴重な建物です!
洒落たホール。建物の外壁同様白と緑のコントラストが特徴的。
丸窓。和風かつモダンな雰囲気ながらレトロな建物によく似合う。
換気には向かない。寒い北海道なので隙間風を防ぐには効果的だったのかもしれない。
大きな座敷もいくつかあった。
開拓について私的な会議なども行っていたのだろうか。
これは棟飾り。
劣化したため補修して展示することにした・・ような気がする。
三菱鉱業寮が文化財に登録されたのはホントに最近だった。
寮という名がついているものの、実態は札幌に出張してきたお偉いさんの宿泊施設ということ。
戊辰戦争、西南戦争に従軍し北海道では主に屯田兵の制度作りに尽力。
晩年は貴族院議員を務めた。
西南戦争で屯田兵を率いて、最も尊敬する人物でもあった西郷隆盛の軍を破る。
本人は深く悩んだであろうと思われるが、屯田兵の効果を世に知らしめることとなった。武四郎の提言により士族中心だった屯田兵は大きく募集対象を広げる。
特に内陸部の開墾に重点を置き、現在の旭川市永山という地域は永山武四郎の苗字をとって明治天皇が名づけた地名である。
当初は永山村という独立した自治体であり、1961年旭川市と合併するが今もなおその名を残している。