道北をいっぱい巡った ― 永山駅 ―

目次

 

 

 

1.永山駅到着

伊能駅から再び国道12号線に戻り、旭川市街地を横切って永山駅に到着。

 

 

国道から少し距離があり、駅前通りが形成される駅らしい駅。

宗谷本線では数少ない有人駅でもある。

 

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駅舎は新しそうな壁と歴史を感じる屋根の合わさった建物。

鉄道が栄えた時代からの生き残りのようだ。

 

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ロータリーにはモニュメント。そして広い駅前通り。

グーグルマップを見ると飲食店も多いようで、中心地として存在感を持っているようだ。先ほどの伊能駅とは対極である。

 

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跨線橋は真新しい。何となく木々が並ぶ森のようなカラーリング。

 

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駅前には立派な農業倉庫。

この時は気づかなかったが倉庫の向かいには側線があり、かつての専用線だったのかもしれない。

 

 

 

2.北の大地の入場券購入

待合室に入り、みどりの窓口で北の大地の入場券を購入。

しかし、先客がいて並ぶことに。

・・・なかなか終わらない。

どうやら夫婦で富良野への往復乗車券を予約しているようだ。

駅員さんと一緒に空席と眺めのいい位置を確認している。

こっちは30秒で終わるのだが、と思いつつも、まさかすぐ終わるので先に処理してくれとも言えずじっと待つ。そりゃあ富良野へ往復切符を買ってくれるご夫婦なんてとても大事なお客さんである。しかしこういったささいなタイムロスの積み重ねが名寄駅で悲しい出来事を引き起こすのだが、それはまた別の話。

 

ようやっと購入。

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駅スタンプには駅舎と稲穂の実る水田。

 

3.永山駅の歴史

永山駅は1898年8月12日に開業。

どーでもいいがこの8月12日は私の結婚記念日である。

その年の11月に蘭留駅まで延伸された。当時は北海道官設鉄道天塩線という路線名。

 

永山駅という名は1891年、屯田兵により開かれた永山村の中心駅として名づけられた。

この地名は屯田兵司令官として上川地区開拓の総指揮をとった永山武四郎の名が由来である。1888年に第2代北海道長官、1891年に退任と同時に第7師団の司令官となった人物である。

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そうそうこの人。

 

この永山地区は上川開拓の始まりとなった場所。

グーグルマップの航空写真を見てもらえればわかるが今の旭川市鷹栖町比布町愛別町、東川町、東神楽町などを範囲とする上川盆地の中心の位置にあり、平らで樹林が少なく開拓に適していた地であった。

そのことを見出したのが先の永山武四郎と後に初代北海道庁長官となる岩村通俊。

1902年に第7師団が現在の旭川駐屯地付近に移転し、その後徐々に現在の旭川市街地がこの地域の中心となっていくがそれまではこの永山地区が上川の中心であり、1961年旭川市と合併するまでは独立した町であった。

 

かつては駅周辺施設へ多くの専用線を持ち、貨物の取り扱いが多かったようだ。しかし1978年に貨物は専用線発着車両のみの取扱いとなり、さらに1984年に貨物・荷物は完全廃止となる。

 

なお、この駅のやや南にある旭川運転所までが電化されており、この永山駅以北は非電化。つまり電車ではなくディーゼルエンジン気動車がえっちらおっちら走る区間となる。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真

 

専用線は主に旭川駅方面に多く引かれていたらしい。

駅舎とは反対側にある黒いものはwikipediaによると野積みされた石炭だそうだ。

 

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