道北をいっぱい巡った。 ― 塩狩駅 ―

目次 

 

1.塩狩

国道40号線を北上。

やがて人家はなくなり、山道に入る。

ここがかつて天塩国石狩国の境となった塩狩峠

車で通行する場合にはなんのことはない峠道だが、これは昭和から平成にかけて改良工事が行われたおかげ。

鉄道にとっては開通時から今なお宗谷本線随一の難所である。

 

その峠の頂上に塩狩駅がある。

 

和寒町に入ってすぐに右手の小さな道へ入る。

塩狩ヒュッテや塩狩峠記念館などを通り過ぎるとすぐに駅の敷地だ。

 

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2面2線の列車交換可能な駅。線路と線路の間が広いのはかつて中央に待避線が設けられていたため。

ホームは古そうな石造りである。

 

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ホームは千鳥式。跨線橋はなく、構内踏切だ。

道路の奥に見えるのが塩狩駅。

 

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電柱は木製のようだ。

 

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信号。柱が折れているように見えるのだが・・

 

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駅舎の反対側は桜の名所として知られる。

塩狩峠一目千本桜」という名だが、南丘森林公園へ続く遊歩道にも桜が植えられており、5月中旬にはウォーキングしながらの花見で一日過ごすことも可能だ。

 

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駅舎に到着。外壁は新しそうだが、屋根や庇は古そう。

 

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この木製看板は雰囲気ありますね。

 

2.塩狩駅舎

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待合室内には写真も展示されている。

 

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SLの写真もいくつか。

 

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C55型蒸気機関小樽市総合博物館で今も静態保存中。

 

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切通しを滑走するC5530機

 

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20‰とは鉄道では結構な勾配の難所。

 

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C55型の第一号機。

 

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横断歩道があるということは市街地だろうか。

分岐があるようにも見える。

 

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同じくC55の1号機。

 

 

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C55以降は設計の変更が多かったことから63機以降はC57形となった。

ハエタタキって宮沢賢治の本にも出てきたような気がする。

 

3.塩狩駅の歴史

1916年信号所として設置。

1924年に駅に昇格。

1974年に貨物取扱い廃止。同年近隣にユースホステルが開業。温泉旅館も併設しており観光客の乗降が増加。

1986年電子閉塞化により完全無人化。

 

国土地理院地図の1970年代後半の航空写真。

 

この当時も周囲にはほとんど人家がない。

駅舎向かいのスペースは貨物関係の設備跡だろうか。

 

2005年にはユースホステル・温泉旅館とも閉館。

2013年に塩狩ヒュッテユースホステルが新たに開業したが、鉄道利用客はほぼ皆無のようである。

 

この駅付近は三浦綾子氏の小説「塩狩峠」の舞台となった場所だが、これについてはまた次回。

 

kamonji224.hatenablog.com