目次
1.塩狩峠記念館
塩狩駅から来た道を少しだけ戻り、階段を上る。
そこには作家の三浦綾子の小説「塩狩峠」にちなんだ塩狩峠記念館が建っている。
建物の外観は三浦綾子氏が作家になる前に営んでいた小さな雑貨店。
作家として大成後は転居して旧宅は牧師館などに利用されていたが、老朽化により取り壊しが決定。しかし解体式の当日涙ぐみながら思い出を語る三浦夫妻に心を動かされた有志が急遽保存の意思を示す。
数年後、三浦綾子の著作で最も愛されているという塩狩峠の舞台に、和寒町の開基100年記念行事の一環として復元されたものである。
入館料は300円。館内は基本的に撮影NG。
正面は雑貨店で、居住スペースや執筆間などが復元されており、三浦夫妻に関する資料も展示されていた。
名前は知っていたが、作品を読んだことはないので眺める程度で退館したが、熟年の方が結構訪れていた。ファンなのだろう。感慨深げに見入っている方が多かった。
とりあえず先人カードは頂いておきます。
北海道を代表する作家といえるだろう。
2.三浦綾子について
せっかくなのでちょっと調べてみた。
1922年生。うちの祖父母と同じ年のような気がする。ちなみに祖父母は存命であり、コロナのせいでさらに暇を持て余している。
戦前は小学校の教員を務め、終戦を機に退職。結核発病後クリスチャンとなる。
1959年結婚。1961年作家デビュー。1963年朝日新聞の懸賞小説に「氷点」が入選。
新聞連載を経て大ベストセラーとなる。
映像化も何度もされている。
後に続氷点も執筆された。
あらすじだけ読んだが継子いじめや義兄妹の恋愛などドロドロ系のストーリーにキリスト教の「原罪」という概念が作品を通底するテーマのよう。個人的にはちょっと苦手な感じ。
なお日テレの笑点はこの氷点をもじってつけられた番組名らしい。
三浦綾子は結核の他にもいくつかの病気を患い、執筆も困難になった。
そのため夫の光世と口述筆記を行い、その後も名作を世に送り出した。
パンフレットに記載されている口述筆記の様子。
酔っぱらって写真を撮ったので汚い足が映ってしまった。
記念館の周りには歌碑がいくつか。
二人三脚で歩んだ夫婦の姿が浮かぶような歌でした。
3.長野政雄氏顕彰碑
記念館を出て駐車場に戻る途中に石碑が建てられている。
小説塩狩峠の主人公のモデルとなった長野政雄氏の顕彰碑である。
国鉄の職員であり、キリスト教徒でもあった長野氏は名寄から旭川に向かう列車に乗り合わせていた。氏が乗っていた客車最後尾が塩狩峠付近で連結が外れ坂道を滑り落ちる暴走を起こす。氏はデッキ上のハンドブレーキを操作しようとするが転落し、列車に巻き込まれ殉職する。その後列車は停止し、他の乗客は無事であった。
氏が転落したのは自らの意思なのか、不慮の事故なのかは定かではないが、小説では自らの体で列車を停めるという筋書きになっている。
この「塩狩峠」は口述筆記による著作の第一作となった。三浦夫妻にとって記念すべき作品でもあるそうだ。