道北をいっぱい巡った。 ― 多寄駅 ―

目次

  

1.多寄駅

下士別駅を出て再び国道40号線を北上。

少し大きな集落に入ったところで左折、次の目的地多寄駅だ。

 

 

無人の小さな待合室だが、手すりや黄色い点字ブロックなどが設置されている。需要がある、あるいはあったのだろうか。この規模の駅では珍しいのでは。 

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下士別駅の写真と思っていたが、記憶違いで多寄駅で出くわした列車。

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ホームの黄色い点字ブロックで間違いに気づいた。 

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1両編成の普通列車

下士別駅は1日4.5往復だったが、多寄駅は約2倍の8.5往復。快速も1本停まる。

まあこの日はほぼずっと駅巡りしてたので1度くらいはどこかの駅で出会えても不思議ではないか。

 

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周囲は畑が広がっている。

水田ではなくて畑作が多いように思える。

 

駅前には農業倉庫。

 

 

2.多寄駅と近隣の歴史

多寄もかつては多寄村という一つの自治体を形成していた。

まずは1900年~1901年にかけて和人の開墾が始まる。

1909年からは現在の多寄と北隣の風連地区が一つの多寄村という自治体であった。

しかし二つの市街地があり、諍いもあったらしい。

そして1938年まず2月に多寄村が風連村に改称。

そのわずか2か月後現在の多寄地区が分村し、第二次多寄村が誕生。

そして1956年に温根別村、上士別村と共に士別市として合併し現在に至る。

 

駅近くがやや賑やかなのはその名残。

1903年に士別駅ー名寄駅間開通に伴い開業。

天塩川沿岸の原野開発を目的とし、その拠点とすべく開業されたようだ。

目論見通り、開駅と同時に駅前には各種商店が並ぶようになった。

昭和初期には近隣にレンガ工場などもあった。

1982年に貨物廃止、1986年に無人化。

1988年駅舎改築。それまでは大きな木造駅舎だった。その約10年後の1999年旭川方面に約20m移動となる。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

現在は踏切があって貫通している道路が駅で止まっている。

この道路のために駅舎を移したわけだ。曳屋によって移築されたらしい。

上の写真の時点では改築前のおそらく大きな駅舎。

 また、2面2線のホームと貨物用引き込み線もあったが、現在は単線となっている。

 

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