目次
1.北星駅
日進駅から道道252号線を北へ向かう。
上智恵文の集落で方向を変え、天塩川を渡ると智恵文の集落と智恵文駅がある。
ここまでが道道252号線。
宗谷本線の駅の順番としては智恵文駅の手前に北星駅という駅がある。
智恵文駅から天塩川に沿って南へ戻る形となる。
人気のない道をしばらく進み、踏切を渡ると北星駅に到着だ。
周囲には畑が見えるが、この近隣に住んでいるのは1軒のみらしい。
車のライトをつけたまま撮影。
辛うじて駅名標が立っているのがわかる。
北星駅の待合室。
すでに周りは真っ暗でおまけに虫も結構飛び回っていたので車から出る勇気はなし。
この裏側に有名な「毛織☆北紡」の看板があるのだが残念ながら実物を見ることは叶わず。
北紡とは旭川にあった紡績会社。
農協・ホクレン・雪印が出資した会社で、のちにユニチカと北紡で新北紡を設立したそうだが、業績不振により1973年撤収したそうだ。
なぜこの駅に看板があり、そして今まで撤去されることもなく残ってきたのかは謎である。特に深い理由もないのだろうけど。
昼間に来るとこんな感じ。
駅までは細い砂利道が通っている。
2.北星駅と近隣の歴史
北星駅付近には北山という集落があった。
1923年道有地貸し付けで開拓が始まる。1926年には特別教授場ができた。
集落付近はほぼ自然に帰っているが、小学校跡地は時折整備されているのか、開けた状態になっている。
戦後開拓で人口が増える。
国土地理院出典の1947年米軍撮影の航空写真。
今と比べるとかなり農地が多いようだ。
昭和40年代にはかなり離農者が多くなってしまい、1977年には小学校が廃校。智恵文小学校に統合となった。
北星駅は1959年に開業。当初より旅客のみの取扱。
駅名は集落名の北山と輝く星を組み合わせて北星駅と名付けられたそうだ。
近隣には民家が点在していたが、現在は倉庫や畑は残っているものの前述のように定住しているのは1軒のみらしい。
そして2021年3月で廃止が決定した模様。
返す返すも有名な看板を見ることができなかったのは残念。
廃止から間もなく待合室もなくなってしまうのだろう。
でも車から降りるの怖かったんだよね笑
国土地理院地図の1970年代の航空写真
旭川方面、さらに北東にも道に沿って民家や畑が広がっている。
現在は駅の周囲に家はほぼなく、道も林道のような砂利道があるのみ。