目次
1.朝の美深駅
道の駅で一晩過ごす。
一度早朝に目が覚めたが、周囲は霧に包まれていて車を走らせても景色は何も見えそうになかったので二度寝。
再び起きると天気が良くなっていたので顔を洗い、歯を磨いて出発。
昨日通った道を戻って美深駅に向かう。
建物右上にJR美深駅の文字。
玄関には美深町交通ターミナルと称され、観光協会などが入居している。
町内にはスバルの試験場があることから応援の垂れ幕もかかっている。
駅舎屋根には時計と鐘が設置されている。
見えにくいが「美幸の鐘」と記されている。
1985年に廃止された美幸線を忍んで作られたものである。
YouTubeで聞いてみた。
結構想定外な音色。
毎日15時に鐘が鳴るようだ。
跨線橋。
駅舎と比べると古そう。昭和の感じが漂う。
2.北の大地の入場券
窓口で北の大地の入場券を購入。
紋穂内~恩根内間の林の中を走る一枚。
駅スタンプは町の北東部にある松山湿原の風景。
待合室にはジオラマが展示されていた。
ごく最近設置されたばかり。
これは架空の路線らしい。
中央を流れる川と深い峡谷が印象的
「美幸駅」というこちらも架空の駅。
観光協会で作ったのだろうか。
朝ドラのあまちゃんにもそんなシーンがあったような。
3.美深駅と近隣の歴史
美深駅は1911年名寄駅ー恩根内駅の開通に伴って開業。当初はアイヌ語の発音に近い「美深(ぴうか)」という駅名であった。
美深町の開基が1899年なので、鉄道の敷設は開拓の歴史に大きな影響を与えたことと思われる。当初は下名寄村という名の自治体だった。1897年に和人が初めて入植した記録が残っている。
1901年にピウカ駅逓が設置、1905年川端駅逓と改称。鉄道開通により駅近くに移転するが、1923年に廃止となった。
1912年に中川村を分村。1915年に2級町村制施行。
1920年智恵文村分村の際に美深(びふか)に改称。
駅名は1951年に改められた。
美深町は林業が盛んで駅周辺には貯木場や製材所が多かった。鉄道開通前は仁宇布川から天塩川を経由して流送が多かったが、鉄道の開通後は美深駅が拠点となった。
1935年、後の美幸線の源となる仁宇布植民軌道が開設。1942年には美深森林鉄道が開設される。1944年町内の4つの木材会社が合併し、天塩川木材㈱が発足。
1956年森林鉄道及び1962年に植民軌道が廃止され、1965年に美幸線が開業。
1970年代の国土地理院地図の航空写真。
今はただの空き地となっている広い構内がびっしりと木で埋め尽くされている。
駅舎の稚内側が貨物ホーム。裏手がストックヤード。
南北に製材所への引込線が引かれ、南東に進む美幸線も見えている。
しかし1982年貨物、1984年に荷物が取扱廃止。
1985年には国鉄最大の赤字路線と言われた美幸線も廃止。
現在、駅の周囲の製材所は姿を消した。
1987年JR開業の年に駅舎改築。
2004年に駅長廃止、2016年にみどりの窓口営業終了、簡易委託となって現在に至る。