道北をいっぱい巡った。 ― 紋穂内駅 ―

目次

 

 

1.紋穂内駅

初野駅から次の紋穂内駅へ進む。

天塩川の蛇行部分を渡ると国道は川の西側、鉄路は東側に分かれる。

道道445号線を右に曲がり、少し細い橋を渡ってやや南へ戻ると紋穂内駅に到着だ。

 

広大な紋穂内地区だが住居は数少ない。

駅の周囲もほぼ無人である。

 

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サビサビの車掌車駅にひび割れた舗装。

 

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建物の基礎はまだ残っている。

それなりに大きい駅舎だったようだ。

 

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所さんの番組で紋穂内駅が紹介された時、かつての木造駅舎の姿も放送されたようです。

 

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ホームのブロック手前は砂利が敷かれている。

枕木は真っ黒ですね。

 

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この先しばらくの間は、畑または原野の横を通って北に進むこととなる。

 

2.紋穂内駅の歴史

紋穂内駅は1911年名寄駅~恩根内駅間開通に伴って開業。一般駅であった。

1913年頃には旅館、運送、雑貨店などの並ぶ集落ができあがる。木材、薪、デンプンなどを発送していた。駅の北にある炭山川流域では石炭も採掘していた。

天塩川左岸から駅に至る橋はなく渡し船が設けられていたようだ。

 

1947年の国土地理院地図の航空写真。

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駅前には建物が並び、農地も広がっている。

1963年に架橋され、渡し船は廃止。交通の便は良くなったが反比例して人口は少なくなっていく。

 

小学校は天塩川の向こうの厚生小学校。

 

 1999年廃校となり、現在は伝承遊学館という施設になった。

それなりに栄えた集落だったようだが炭鉱の閉山や離農が相次ぎ現在はかなり人の少ない集落となった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

この頃はまだ駅前に民家があり、集落の体をなしている。

駅舎も健在。

 

1977年に貨物取扱が廃止となったが、上の航空写真の段階ではスペースは残っているものの利用している形跡は見て取れない。

 

1984年に交換設備を廃止し無人化。木造駅舎も撤去される。

 

その後集落もなくなり、国道の対岸ということもあって秘境駅として一部の鉄人には有名であったが2021年3月で廃止が決定したようである。

 

 

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