道北をいっぱい巡った。  ― 咲来駅 ―

目次

 

 

 

1.咲来駅(さっくるえき)

天塩川温泉駅から国道40号線に戻って北上。

枝幸町歌登方面へ向かう道道220号線との交差点を左に進んで咲来(さっくる)駅に向かう。

 

 

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砂利道の先に黄色い待合室が見える。

 

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一直線に線路が伸びているが、かつては線路の両サイドに貨物積卸場や千鳥式のホーム、ストックヤード等があった。

現在は草に覆われ遺構があるのかどうかもわからない。

 

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ホーム横には立派な花壇が作られていた。

 

駅周辺は小さな集落になっている。

 

農業倉庫らしき建物が2棟並んでいる。現役かどうかは不明。

 

2.咲来駅と近隣の歴史

1912年恩根内駅ー音威子府駅間開通に伴い一般駅として開業。

それ以前の1904年に常盤駅逓所が開業しており、砂金採りで賑わうオホーツク方面との分岐点として栄えていた。村内の最初の入植もこの地から始まる。天塩川には船着場も設けられ、人や物資の輸送に利用されていた。

1907年に美深村戸長役場が設置され、その管轄となる。

1912年中川村戸長役場が設置され、現在の音威子府村域は中川村に含まれることとなった。

1914年に鉄道が延伸。まずは後の天北線ルートが延伸開業。

そして1916年中川町から分村。当初の村役場は発祥の地である咲来に置かれ、村名は常盤村、庁舎は旧駅逓の建物であった。

その後1925年に現在の宗谷本線となるルートも延伸。

日本海側とオホーツク海側の分岐点は咲来から音威子府へと移っていき1925年に村役場が移転。

村名である常盤という名をもつ駅はなく、音威子府駅知名度が高くなっていく。

郵便などにも支障をきたすようになり1963年音威子府村に改称。

咲来地区では反対も多かったようだ。

 

音威子府村林業が盛んで咲来駅も木材の出荷駅であった。

しかし需要は減少の一途となり、1982年貨物廃止。1986年無人化となって現在に至る。

 

1948年の国土地理院地図の航空写真

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駅裏ストックヤードに大量の木材が積まれている。

駅横稚内側は荷物積卸場で、少し北にはストックヤードへ貨物積卸用の副本線が分岐しているのが見える。この頃はまだ国道は咲来市街を通っていた。

 

 1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

 線路は2本確認できるが、駅反対側のストックヤードは既に草が茂っているようだ。

うっすらと線路跡が見える。

 駅横には貨物積卸場と日通の建物があり、現在はライダーハウスになっているらしい。

 

 宗谷本線に並行して走る咲来のメインストリート周囲の住宅も現在より多い。

 

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