道北をいっぱい巡った。 ― 筬島駅 ―

目次

 

 

1.筬島駅(おさしまえき)

道の駅おといねっぷを出て国道40号線を進む。

ちょうどこの辺りが国道275号線との分岐点。旭川からほぼ北上を続けてきたが、天塩川の蛇行部分と共にいったん進路が西に変わる。

すぐに山間の道となり、宗谷本線は天塩川の対岸を走っている。

次の目的地、筬島駅に行くには途中で筬島大橋を渡る必要がある。

橋ではカヌーの川下りを幾人かが眺めていた。

 

 

橋を渡ってしばらく進んだところに筬島駅があった。

 

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綺麗な貨車駅。2012年に外壁を改修されたもよう。

 

ここもかつては木造駅舎が建っていた。

 

週刊 JR全駅・全車両基地 2013年 10/13号 [分冊百科]

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  • 発売日: 2013/10/03
  • メディア: 雑誌
 

 小さな写真が掲載されてます。

木材の積出駅だったのでそこそこ大きな駅舎だった模様。

 

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駅横には小さな花壇とプランター

駅を彩ってくれている方がいるのである。

 

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ホームから見ると藪の向こうに建設途中の音威子府バイパスが見える。

 

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音威子府方面。先の方にカーブが見えるのはかつての2面2線ホーム時代の名残だろうか。

 

かつて駅前の道路にあった国鉄時代の駅名標

 

伝説の駅、神路駅を消した跡が残ることでもその筋には有名だったようだ。

 

2.筬島駅と近隣の歴史

1922年音威子府駅ー誉平駅開通に伴い一般駅として開業。

この辺りの住所は物満内(ものまない)だが、3文字の駅名は扱いにくいということで 、アイヌ語ゆかりの言葉である筬島を駅名としたそうだ。意味は諸説あるらしいが村史には近隣の沢の名から取ったと記載があった。

鉄道開通後に入植が増える。木材の他雑穀・亜麻・馬鈴薯等農産物を積出していた。

1977年貨物扱い終了。1986年無人化。1990年前後に貨車駅となる。

近隣は住宅が数軒、利用者も極めて少なくいつ廃止になってもおかしくない状況である。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

木造駅舎に相対式のホーム、貨物用路線などが確認できるが取扱いはほぼなくなっている様子。

 

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