道北をいっぱい巡った。 ― 天塩中川駅 ―

目次

 

 

 

1.琴平駅

佐久駅から宗谷本線と並行して北へ向かう道道541号線を走る。

少し進むと音威子府バイパスという新しい道路の建設現場を通り過ぎる。

実はそのあたりが廃止となった琴平駅のあった場所だった。

 

 

近隣に集落などはなく、駅跡なども残っていない。

 

1908年富山からの入植が開基。

畑作中心で、当初は道もほぼ無く渡船が主要な交通手段であった。

琴平駅は1955年仮乗降場として開業。

1990年利用者皆無のため廃止。

 

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

若干数の民家が点在しているものの、集落と呼べるほどの規模はない。

 

2.天塩中川

琴平駅跡に気づくこともなく通過。

道道541号を進むと中川町の市街地に到着。

この道は中川町のメインストリートになっているようだ。

まあ小さな町なので人が賑わっている、というわけではないのだが。

 

 

 

道道438号との交差点を右に曲がって駅に到着

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木造の立派な駅舎。開業時の姿にわざわざ戻す改修工事を行ったらしい。

ここでも花壇に花が満開。そして郵便ポストも頑張っている。

 

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待合室内も木造で明るい色合い。

ちょっと写真がブレてしまったのが残念。

 

薄いピンク色の物体は電話だっただろうか。

かつての事務スペースが交流プラザになっていた。

 

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林業が盛んだったころの写真だろうか。

馬がそりを運んでいる。

 

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2面2線ホーム。向こう側は砂利のようだ。

 

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構内踏切の先に見えるのはJRの設備のよう。


 

 

ストリートビューで見ると車庫のよう。

保線車両用かな。 

 

3.天塩中川駅と近隣の歴史

この辺りの開拓は1903年の御料地貸付から始まる。

人口は順調に増加し1906年中川村が誕生。1912年に戸長役場が設置される。

1916年に常盤村が分村。この頃、すでに開通していた天北線のピンネシリ駅へつながる街道が開削された。また、物流は天塩川の舟運がメインであった。

市街地も現在の位置ではなく、当時渡船場があった付近に公共施設を中心に建物が集中していた。

 

天塩中川駅は1922年音威子府ー当駅の開通に伴い一般駅として開業。

当初の駅名は誉平駅(ぽんぴらえき)だった。これに先立って公共施設等が移転。

市街地も現在の駅前近くに移動してきた。

1923年当駅ー問寒別駅が開通。

1951年天塩中川駅に改称。

1953年現在の駅舎に建て替え。

1982年貨物取扱廃止、1984年簡易委託化。

2014年駅舎の所有が中川町となり、現在の外観に改修。

2016年工務社員の配置も廃止となった。

 

かつての駅舎の写真はこちらで確認可能

 

週刊 JR全駅・全車両基地 2013年 10/13号 [分冊百科]

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  • 発売日: 2013/10/03
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1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

貨物用副本線に駅裏の広大なストックヤードとかなり大きな敷地。

大量の木材が置かれている。

現在は駅前の農業倉庫、ホーム裏の草むらに名残が残るのみ、

ストックヤード付近は新しい住宅が並んでいた。

 

国土地理院地図の1947年の航空写真

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天塩川が大きく曲がりくねっているのが見える。

この後、捷水路(ショートカット)工事が行われ、現在の航空写真では直線化した天塩川と、微かに痕跡を残す旧河川が見て取れる。

 

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