道北をいっぱい巡った。 ― 南稚内駅 ―

目次

  

1.南稚内

道道106号線を走っていよいよ稚内市街地に入る。

程なくして国道40号線に交差して左に曲がる。

そこからはすぐに南稚内駅前に到着だ。

 

 

駅の周りは飲食店が並び、稚内市の繁華街といえるエリアになっている。

 

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平屋の駅舎。

茶系の温かみのある色合いで、最果ての感じはあまりない。

 

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跨線橋も同じ色味。

あまり古くはなさそうだ。

現在は2面3線のホーム構造。しかし3番線は乗降はできず保線車両専用となった。

2.南稚内駅の歴史

南稚内駅は1922年当時の宗谷線(後の天北線)の終点として開業。

当時は稚内駅という名称であった。

この頃は現在の駅より1kmほど北に位置していた。

 

現在の稚内港郵便局あたりにあったらしい。

向かいにあるホテル滝川は今も残る当時の駅前旅館。

 

1923年南稚内駅と樺太を結ぶ連絡船が開設された。

しかし駅から船着き場までは2kmほど距離があったため徒歩や荷車が必要であった。

船着き場に建てられた待合所が1928年稚内港駅となり、線路も延伸となった。

 

1924年稚内駅~兜沼駅が開通。さらに1926年天塩線(現在の宗谷本線)が全面開通。

1930年名称変更により旧宗谷線が北見線、天塩線が宗谷本線となった。

さらに1939年今度は駅名が変更となり稚内港駅が稚内駅、旧稚内駅が南稚内駅と改称された。

 

そして1952年駅間距離が近すぎること、また複雑なスイッチバック方式を解消するため南稚内駅が移転。現在の位置となる。

 

1961年北見線が天北線に改称。

1983年貨物取扱が廃止。

1989年天北線が廃止。最北の分岐駅ではなくなった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅からもう少し東に進むと分岐点がくっきりと見えている。

かつては6番線及び貨物用も3線もあるような大きな駅であった。

この当時は側線がまだ残っているようだが徐々に徐々に撤去されていくこととなる。

 

南稚内駅よりもう少し北にはかつての稚内機関区が今も名残をとどめている。

 

線路沿いの道からも様子は窺えるが、この跨線橋からは車庫や構内の様子がばっちり見えるようだ。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真Ⅱ。

 

当時は大きな扇形車庫と転車台を備えていた。

 

扇形車庫は撤去されてしまったが、転車台は今も草に埋もれながらもその地でひっそりと時を過ごしている。

 

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