道北をいっぱい巡った。 ― 稚内駅 ―

目次

  

1..ホテル美雪

南稚内駅を出て北へと進む。

宗谷本線の駅を巡ってきたがついに最後の駅は目前。

時間も夕刻が近くなってきたので、まずは荷物を置きにホテルへチェックイン。

 

 

稚内駅すぐそばのホテル美雪が今夜のお宿。

ビジネスホテルとは趣が異なり、畳に布団が敷いてあるタイプの和室。

洋室もあるらしいが、疲れているときは和室の方が寛げるので良かった。

 

しばし休憩した後、いよいよ稚内駅へ

 

2.稚内

 

ホテルから歩いて数分。

ついに到着した北の果ての終着駅。

 

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2012年に建て替えられて道の駅などを併設した複合施設となった稚内駅。

北の果てにやってきた叙情はちと感じにくいかもしれない。 

 

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窓越しなのがちとかっこ悪いが最北端の線路と看板を眺め、達成感に包まれる。

長い長い2日間だった。

次は鉄道で訪れることを胸に誓って線路に別れを告げる。

 

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先ほどの線路から駅舎内、そして外まで続く線路跡。

かつて使用されていた車止めが日本最北端の線路跡のモニュメント。

駅舎改修前はこの辺りが最北の線路だったようだ。多少位置はずれているらしいが。

 

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北の大地の入場券も無事ゲット。

抜海駅に停車する単行列車。妙に青い庇と苔むしたホームからは昭和の香りが濃厚に漂っている。

駅スタンプは宗谷岬ですね。

 

3.稚内駅の歴史

稚内駅は1928年稚内港駅として開業。

樺太への稚泊航路の待合室を改修し駅にしたらしい。線路も延伸された。

当時は船への乗り継ぎのため線路海側に駅舎があった。

1936年北防波堤桟橋が完成。船の離着岸が移動したため線路も延伸。

1938年に防波堤桟橋内に稚内桟橋駅を設置。ただ独立した駅ではなく稚内港駅内の乗降場扱いだった模様。

1939年稚内港駅から稚内駅に改称。

1945年終戦及び樺太からの引揚が終了し稚泊航路は運行停止。それに伴って稚内桟橋駅も廃止となった。

1965年駅舎建て替え。

1984年貨物取扱廃止。側線が徐々に撤去されていく。

2010年2番線が廃止され単線駅となる。

2011年新駅舎開業。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。

 

駅を中心に北防波堤まで副線が伸びている。

 南東の埋め立て地への専用線は既に撤去されているが、その跡はまだ明確に路盤が残っている。

 

4.宗谷本線の旅を終えて

さて、50数駅の駅を二日かけて見て周ってきた。

流石に全ての駅を丹念に見ることはできなかったが、見れば見るほど気になる部分も増えてきた。

特にこの沿線は人口希薄地帯が多く、札幌周辺とは全く違う景色の中に建つ駅ばかり。

周囲の風景も含めて飽きることのない道中であった。

あとは虫さえいなければ・・スズメバチがいないのは良かったがアブが密集しているのはちょっとキツイ。

 

今回は北の大地の入場券を購入することぐらいしかJRに貢献していないが、次はやはり電車に乗って車窓を眺める旅をしたいものである。

 

駅を巡れば巡るほど開業時の駅舎の姿や近隣の町並み、乗客や貨物でいっぱいだったであろう列車たちなどなど知りたいことが増えてきて、完全に泥沼に引きずり込まれつつある。

 

自治体が発行している市町村史などにも鉄道に関する章が設けられているようなので今年の冬は図書館通いを計画中。

 

やや鉄道との縁が薄そうな札沼線当別町、月形町、浦臼町の町史を先日調べてみたがやはりネットでは見ることのできない情報や写真があったりして地域の歴史も含めてとても面白い(笑)。

調べてわかったことはこれまでの駅の記事に加筆修正していくつもりです。

が、記事を書くよりも調べるのが楽しくなって記事を書く時間が減りそうなのが不安。

 

この宗谷本線などは開拓の歴史と鉄道開通が密接にリンクしていると思うので、今から楽しみである。

 

さて、今回の宗谷本線を巡る旅はいったんおしまいですが、この日の夕方・そして翌日はまた違った場所を訪れつつ帰路についたので次回からはそちらの内容を書いていきます。2泊3日の行程を書くのに一体何か月かかるのか・・・

 

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