目次
1.曲淵(まがりふち)駅跡
沼川駅跡から道道138号線を東へ向かう。
次の集落、曲渕にあった曲淵駅跡を訪ねた。
駅跡は道路沿いにある公園に生まれ変わっていた。
駅名標を模した看板。
ここまでくると稚内市街よりも猿払村中心部の方がかなり近い。
裏側はだいぶ錆びている。
看板は木製だったんだね。近くに木工場があるようなので自家製だろうか。
バス待合室。冬は寒そう。
道路の反対側の建物も待合室だろうか。
一瞬駅が残っているのかと思い違い。
この辺りは天北線代替のバスが通っていたが、2011年宗谷バが路線転換。稚内市街からの普通運行バスはここが終点となる。猿払村小石との間に公共交通機関はなくなった。さらに2020年3月、曲渕へのバス路線自体が廃止。乗合タクシーに転換された。
2.曲淵駅と近隣の歴史
1915年頃、鉄道敷設の測量と同時に移住開始。造材が生活の糧であった。
曲淵駅は1922年宗谷本線稚内~鬼志別間開通に伴い一般駅として開業。
天北炭田の曲渕炭鉱が近隣にあり、貨物輸送が盛んであった。
1964年曲渕炭鉱が閉山。石炭輸送が途絶える。
1982年貨物取扱廃止。
1989年天北線廃止に伴い、廃駅。
集落の名は「曲渕」だが駅名は「曲淵」の字があてられていた。
1970年代後半の国土地理院地図の航空写真。
2面2線のホーム構造と2本の副本線を持つ。
駅横には貨物ホームがあり、引込線もあった。
駅裏には転車台の跡も残る。かつては駅裏にホッパーがあり、選炭場からトロッコ軌道が引かれていた。
この時点では既に炭鉱はなく、わずかな木材が積まれている。
3.曲渕炭鉱
曲渕炭鉱は1940年頃開鉱。
現在は露天掘りの跡が僅かに残っているようだ。
最盛期は1957年頃。
運営は天北石炭鉱業と宗谷炭鉱という2社が別々に行っており、閉山時期も別だったというちょっと変わった経営が行われていたようだ。
1960年代後半の国土地理院地図の航空写真。
炭鉱跡の設備はよくわからないが、炭鉱住宅らしき建物が並んでいる。
集落は数千人を数えたこともあったというから、この地方としてはかなり大きな集落だったと思われる。
天北炭田自体、道内の他の産炭地と比較すると小規模であった。
最盛期でも炭鉱数は12と数も少なければ、産出量もあまり多くなかったようだ。
その中で比較的大きかったのが豊富町の日曹炭鉱とこの曲渕炭鉱であった。
現在は炭鉱住宅もほぼ姿を消し、小学校もなくなったが郵便局や商店はまだ健在である。天北線は道道に姿を変え、新たな動脈となっている。