道北をいっぱい巡った。 ― 道の駅えんべつ冨士見 ―

目次 

 

 1.道の駅えんべつ富士見

遠別町の市街地を抜けて少し南へ向かうと富士見ヶ丘公園にある道の駅に到着。

 

ここにもちょっと立ち寄り。

 

f:id:kamonji224:20201124225602j:plain

羽幌線の路線跡を駐車場にして、その裏手の丘には展望台と公園がある。

展望台からはボンヤリとながら利尻富士が見えた。

 

f:id:kamonji224:20201124230004j:plain

海沿いには風力発電の風車も見える。

 

f:id:kamonji224:20201124230227j:plain

河川公園ではパラグライダー?空を浮遊する人の姿も。

高所恐怖症の自分には絶対無理。

 

2.天塩金浦駅跡 

さて、道の駅冨士見よりもう少し南には国鉄羽幌線の天塩金浦駅があった。

 

金浦は1900年頃開拓開始。それ以前から海沿いには漁師がいたものの、ニシンの不漁などで離村が増える。町内では唯一海辺に小学校があったが、1978年遠別小学校に統合となった。

 

沿岸バスの第一金浦停留所の後ろに門柱が残っている。

 

天塩金浦駅は1958年初山別駅~遠別駅間開通に伴い開業。

既に羽越線金浦駅という名の駅があった為地名に旧国名の天塩を付して駅名とした。

当初より旅客のみの取り扱い。 

1987年羽幌線廃止に伴い廃駅となった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

今よりは周囲の民家の数も多い様子。

現在は建物は減り、駅へ向かう道も草むらに帰ってしまったようだ。

 

天塩金浦駅の画像

仮乗降場のような造りのホームと待合室。

待合室の庇がやたらと長く、横から見るとスネ夫の髪型のようである。

 

3.歌越駅跡

 

遠別町最南端の駅だった歌越駅。

歌越地区は1898年頃開墾が始まった。

ここもニシンの不漁によって住民が減っていったが、最盛期には小さな市街地もあったそうだ。集乳所もあったが、後に丸松に集約される。

 

歌越駅は1958年初山別駅~遠別駅間開通に伴い開業。

当初は1面2線のホーム構造を持つ交換可能な一般駅で、保線を担当する線路班も配置されていた。

1970年貨物廃止及び無人化。

1987年羽幌線廃止に伴い廃駅となった。

 

1970年代後半の国土地理院地図の航空写真

 

この頃は既に貨物廃止・無人化後で単線扱いの駅となっていた。 

駅前にある建物は国鉄職員の官舎だったらしい。

駅のそばは寂しいが、もう少し内陸に行くと水田が広がり、民家の数も少し増えて小中学校もあったようだ。1988年遠別小学校に統合されている。

沿岸バスの第二歌越停留所のすぐそばにあり、今は農場となっているらしい。 

 

歌越駅の画像

板張りの木造駅舎。駅舎側線路は使われなくなった後もしばらく敷かれていたようだ。

 

kamonji224.hatenablog.com