目次
1.陸奥国分寺薬師堂
仙台三日目。早朝に目が覚めたので朝飯前に一人で出かける。
どこに行こうか迷ったが、ギリギリ歩いて行けそうな陸奥国分寺薬師堂へ向かった。
すぐ北には仙台貨物ターミナル駅、そして楽天のスタジアムがある。
住宅も密集している中でやや不自然に広がる緑のスペースが目的地だ。
本来は南側に門があるが、北側からも入ることはできる。
寺の構造とは逆方向からのルートで見学。
現在残っている施設でメインとなるのがこの薬師堂。
伊達政宗が再建した建物で、同時期の寺社建築と比べると装飾が抑えめでかなり地味な造りである。
薬師堂とは薬師如来を本尊とする仏堂のこと。もちろん、ここにも薬師如来像が中に置かれている。
だいぶ文字が薄くなってしまっているが、説明文と構造図。
薬師堂は国の指定する文化財である。
創建時の正式名称は「陸奥国分寺金光明四天王護国之寺」。
その跡を示す石碑。
薬師堂から南へ進んで振り返る。
本当はこの道を通って参るのが正しい。
北海道にもこういう雰囲気で気軽に立ち寄れる寺はあるのだろうか?
さらに南へ進むと茅葺き屋根の仁王門。
現在はここが玄関口だ。
寺院を守護する金剛力士像が安置されている門を仁王門と呼ぶ。
2.陸奥国分寺の沿革
国分寺とは奈良時代に聖武天皇の命によって各地に建立された寺院。
目的は仏教による国家の鎮護のためであり、国分尼寺も併せて創建されている。
仙台の国分尼寺はこちら。
案内板の航空写真。どちらもかなり規模の大きい寺院だった。
創建当時の復元図と出土品。多賀城が陸奥の行政の中心なら、この国分寺は宗教及び文化の中心であったのかと思われる。
遺構の発掘調査・現在の寺院の様子。現代残る建物は江戸時代のもので、奈良時代に建てられた元々の国分寺は室町時代辺りにほぼ滅びていたようだ。
伊達政宗の再建後は再び大寺院となり栄えた。
しかし明治時代に仙台藩の庇護を失い、廃仏毀釈のあおりも受けて25もあった僧院はたった一つに。
その残った一つが薬師堂の管理も託され、現在に至っているようだ。
古代寺院の発掘は1930年頃から断続的に行われており、1955年から5年間をかけて行われた調査では、さまざまな伽藍の遺構を確認し、凡その全貌を把握することとなった。
この調査は後の他地域における国分寺調査にも非常に参考になったようだ。
現在も近隣で開発が行われる際は遺跡調査を行ってから作業に入ることとなっている。