仙台家族旅行 ― 仙台城跡 ―

目次

  

 1.仙台城

瑞鳳殿に別れを告げて、再びるーぷる仙台に乗車。

次の目的地は仙台城跡。直線距離ならばすぐだが蛇行する広瀬川を何度か渡り、坂道を登って本丸すぐそばのバス停で降車。

 

 

 少し歩くとすぐに伊達政宗の騎馬像。

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鎧兜姿で馬に揺られる様は実に凛々しく、風格がある。

台座も手の込んだ装飾が施され、より芸術的だ。

この写真ではよくわからないが、元服時や朝鮮出兵時などのレリーフが彫られている。

 

 そしてもう一つ。羽を広げた鳶の像とその後ろに立つ塔。

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これは西南戦争日清戦争に出征し亡くなった方々の慰霊塔である昭忠碑。

元々鳶は塔の上に設置されていたが、東日本大震災の際に地面に落下。砕けてしまった。復元後は塔の上には乗せず、ここが定位置となった。 

 

本丸は高台の上にあり、今もなお仙台市街を見渡すことができる。

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 大きな山と低い山が幾つか並んでいる。その手前には背の高いビルが聳える。

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仙台城伊達政宗関ケ原の戦いの後に築いた城。

青葉山にあるため青葉城とも呼ばれる。

 

伊達政宗の時代は本丸と西の丸という構造であった。

本丸には天守台はあるが天守閣はなかった。現在は公園及び資料館となっている。

西の丸は現在の護国神社の位置。 

 

2.石垣

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さて、日本の城といえば天守閣を筆頭とする櫓が象徴的だが、その次に頭に思い浮かぶものは何だろう。石垣を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

仙台城の本丸も石垣に囲まれた場所となっている。

 

 

 北壁石垣

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仙台城へ続く坂道の下から見上げるとこんな感じ。

後年の修復工事における発掘調査で野面(のづら)積みと切込接(きりこみはぎ)の2種類の積み方が用いられていることが分かった。石を加工しない野面積みは伊達政宗の時代のもの。この写真は石材を同じような形に加工し、密着させながら積み上げていく技法である。

 

 ストリートビューで見るとこんな感じ。実際にそばを歩くとかなりの威圧感があった。

 

 

こんな低めの石垣もあったが城と関連するものなのかは不明。 

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 3.大手門脇櫓

さらに坂道を下り、東北大学キャンパス付近まで戻ってくると櫓がある。

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これは1964年に復元された大手門脇櫓。 この後大手門も復元しようと試みたそうだが資金難により断念。現在では江戸時代の姿を示す唯一の建物となっている。

 

 

この大手門跡からまっすぐ西に進むと仙台城二の丸跡。

本丸は山上にあるため、太平の世の政務には不便であった。

そのため二代藩主忠宗はこの地に二の丸を造り、その後はここが藩庁の役目を果たした。現在は東北大学のキャンパスである。

 

大手門脇櫓のすぐ東には五色沼という小さな水辺。

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これは堀の跡。もう一つ長沼という沼も堀の跡である。

この堀は三の丸を囲むように作られていた。

三の丸は主に米蔵があったといわれている。現在は市立博物館となっており、この日は残念ながら緊急工事で休館であった。 

 

 

4.マンホール 

大手門跡付近の道路にはこんなマンホールが。

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石垣と櫓。

現在の大手門跡を描いたものだろうか。 

 

こちらは仙台名物七夕祭りの飾りつけ。

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7種の飾りがあるそうだが有名なのは吹き流しかな。 

 

本丸ではもう少し遊んできたのだが、長くなったので日を改めて。