秋の北空知ドライブ ― クラウス15号 ―

目次

  

 1.クラウス15号

さて、幌新ダムから道道へと戻って来る。

交差点付近には幌新温泉、化石体験館などいくつかの観光地があり、駐車場も整備されている。

その一角に小さなSLが展示されているので、次はこれを見学することにした。

 

その名はクラウス15号。

 

 

 

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高さ、横幅共にかなりこじんまりした蒸気機関車

よく展示されているC~、D~、96~などのタイプとは全然違う。

細長い煙突も特徴的だ。

 

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斜めから見るとこんな感じ。

長さも可愛らしいサイズ。

 

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運転室は立入禁止だが、覗くことは可能。

よく見る蒸気機関車よりも機器が少なくすっきりしているような。

 

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逆サイドから。光の加減でなんだかよくわからなくなってしまった。

 

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国鉄には10~32号まで23機のクラウスが所属していた。国鉄時代は10形という形式名をつけられている。

今も残るのはこの15号。そして同じく留萌鉄道にやってきたクラウス17号

宇佐神宮に保存されているクラウス26号

さらに、国鉄には在籍せず防石鉄道で活躍した防石鉄道2号の計4機が保存されている。

 

2.昭和炭鉱 

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車庫には明治昭和炭鉱とある。

 

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車庫の中はこんな感じ。

屋内だからなのか枕木もなし。

 

昭和炭鉱は沼田町の山深くにあった炭鉱。

戦後すぐの頃は留萌鉄道の終点である昭和駅が唯一の交通機関だったようだ。

 

今ではすっかり山野に返ってしまったが、炭鉱設備や約4千人が暮らす市街地もあったらしい。

 

この地に開拓が始まったのは昭和初期の1928年。

当初から定住するのは炭鉱に従事する人のみであり、農家などはなかったようだ。

1930年に留萌鉄道が全線開通し昭和駅が開業。駅はホーム1面のみ。

1950~60年頃が全盛期。珍しい隧道商店街が名物であった。

近隣には浅野炭鉱、太刀別炭鉱などもあった。昭和炭鉱は石炭の埋蔵量・品質共に上々だったようだが、坑内に断層が多く、さらにエネルギー革命による石炭産業の斜陽化で大きな打撃を受け、1969年閉山。すでに他の炭鉱は閉山しており、同年留萌鉄道も営業休止。そして1971年に正式に全線廃止となった。

多くの人が暮らしていた町も自然に返り、現在に至る。

炭住や隧道商店街はまだ遺構が残っているようだが、かなり危険度の高い場所のようなのでビビリの私が訪れることはないだろう。

 

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クラウス15号は留萌鉄道で石炭運搬に従事。その後は昭和駅から500mの位置にあった昭和炭鉱の選炭場で貨車を運搬していたそうだ。

 

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